「夢二繚乱」東京駅美術館 2018.7.1

 6月のある夜、NHKでこの番組を見た…

桑子:「『埋もれているものを掘り出して世に送る』。澤田さんの信念と努力を知った上で作品を見ると、夢二の優しい画風の絵が、より愛おしく感じる。」

有馬:「ホンモノを見抜き、腹を据え、それを世に問う。気骨の出版人の仕事ですね。そんな仕事や生き方をしたいものですね。」

桑子:「映像に出てきた作品展は、来月(7月)1日まで開かれています。」 

 これは「夢二 繚乱」のパンフレットであるが、5月19日が始まっていたことは全く知らなかった。NHKの番組で知った時は、7月1日の終了までさほゆとりはなかった…

 でも秋田県小坂町出身の澤田伊四郎氏が展示作品の殆どを収集され物であることを知り是非行ってみようと思った…

 

 JR東京駅にある美術館には、1人の出版人・澤田伊四郎氏が集めた多彩な夢二の作品群が展示されていた…

大正時代を中心に活躍した竹久夢二の作品、800点余りが展示されていた…

 秋田県小阪市出身 澤田伊四郎氏
 秋田県小阪市出身 澤田伊四郎氏

 その人・澤田伊四郎氏は秋田県の小坂市の出身だと紹介されたので、興味がそそられた。そして、このことを小坂出身のAさんに教えてあげようと思った…

 ところが、6月30日の大学の東京支部大会で後輩のAさんに会ったのだが、どうしても澤田伊四郎氏のお名前が出て来なかった…

 ただ、東京駅美術館で「竹久夢二展」が明日までだよとだけ伝えた…

 澤田伊四郎の古里・秋田県小坂町
 澤田伊四郎の古里・秋田県小坂町

 小阪といえば小阪銅山の事は小さい頃から聞いていたが、厳しい労働や強制労働などあまり好いイメージは残っていないが、反面鉱山が最盛期には大いに栄え、当時の立派な芝居小屋が今でも残っているとう。澤田伊四郎氏は東北の地にあっても文化的な環境の中で、その後昭和8年に東京で「龍星閣」という出版社に創業につながる素養が醸成されていったのであろうか…

 また、石川啄木が幼い頃から母親のように世話になった長姉さだ子さんは小坂鉱山鉄道で働く田村叶氏と5人の子供と工夫長屋で暮らしていたが、貧困と結核に侵され31歳の若さで亡くなった…

 啄木がその知らせを受けたの旅費を借りて函館駅長の義兄・山本千三郎(姉・とら子の夫)にカネの無心に行って帰ったばかりであった…そんな啄木は小坂町を訪れるゆとりがなかった。そればかりか、啄木は小坂町の姉の不幸をも旅費の返済延期依頼の言い訳にしなけらばならなかった…

 私には、こんな啄木の話に出てくる小坂町を印象深いものにしている…

 7月1日 昨日は大学の東京支部大会に参加し、懇親会後に同期と後輩との二次会で少々呑みすぎて朝は死んでいました…

 でも、どうしても東京駅美術館の「夢二 繚乱」を観たかったし、夕刻には江古田市のジャズライブ・浜崎航meets松本茜Trio「Big Catch」の予定があったので、昼頃には家を出た…

 熊谷駅構内で「冷やしたぬき蕎麦」を食べた…中々美味かった…  2時半頃に東京駅に着き「夢二 繚乱」を観たが、最終日だったので混雑していた…

 自宅の壁に夢二の「黒船」の実物大レプリカと数枚のレプリカが掛けてあったので、夢二の美人画を眺めていたが、今回は秋田の小坂町出身の澤田伊四郎氏が収集してきたという夢二作品に興味があってやってきた…

第1章 夢二のはじまり

第2章 可愛いもの、美しいもの

第3章 目で見る音楽

 会場が混雑していて、ここまで観てくるのに2時間あまりかかった…殆どが小作品でしたが、その作品の多さに圧倒された。これほどの夢二作品を根気よく集めてこられた澤田伊四郎氏に対して、東北人としての共感を覚えた…美術館内は勿論撮影禁止ですので写真で紹介することは叶いません。

そこでネットに公開された「夢二 繚乱」のダイジェストを紹介します…

第1章 夢二のはじまり

早稲田実業学校に在学中に制作した肉筆の画文集『揺籃(ようらん)』を初公開し、若き日の夢二の姿を紹介すると同時に、初期の作例を通して、どのように画家として歩み始めたのか、夢二の原点に迫ります。 

 初公開! 夢二青年期の試作 

『揺籃』は明治36(1903)年に制作された、外国文学の翻案や創作、さらに数点の挿絵を含む手書きの冊子です。推敲の跡も生々しいこの試作からは、20歳の夢二の豊かな才能と、自分の創作を世に問いたいという強い願望を感じとることができます。

第2章 可愛いもの、美しいもの

大正3(1914)年10月、日本橋呉服町に「港屋絵草紙店」が開店します。夢二が正式に結婚した唯一の女性・岸たまきが主人を務めた港屋は、夢二がデザインした千代紙、便箋や封筒、半襟などを販売するブランドショップでした。また、恩地孝四郎や田中恭吉ら若い芸術家たちが集い、作品を発表できるギャラリーでもありました。

この時期には「夢二式美人」のスタイルが確立されただけでなく、絵葉書、雑誌の表紙や挿絵、本の装幀など、多方面にわたって夢二は活動を展開させていきました。

第3章 目で見る音楽

 夢二は数多くの楽譜の表紙を描いている

夢二は数多くの楽譜の表紙を描いています。代表的なのは、セノオ音楽出版社より発刊されたセノオ楽譜で、日本や世界各国の楽曲のイメージをさまざまなジャンルの要素を取り入れたデザインで表現しました。夢二は自ら作詞を手がけた「宵待草」のほか270点余りの楽譜で、いわばジャケットを任されています。また、夢二は童謡の楽譜にも積極的に参加しました。夢二が描いた大正時代の豊かな音楽の世界を紹介します。

 

第4章 出帆 

初公開! 自伝小説『出帆』挿絵原画

昭和2(1927)年に都新聞で連載された『出帆(しゅっぱん)』は、夢二の半生を綴った自伝小説です。挿絵には、彼の愛した女性たちや彼女たちと訪れた風景、あるいは抽象的な心理描写などが水墨で描かれています。

 

 このコーナーは、夢二の生い立ちの年表に自伝小説「出帆」の挿絵が展示されたので、夢二を理解するための効果的な展示であった。できれば、この年表をじっくり辿ってみたかったのですが、同じような思いの人が列をなしていたので諦めました…

 

 最後に二階の売店に立ち寄り、夢二らしい絵葉書を三枚買い求めた…

右端の写真が、この展示会の案内冊子であるが、既に売り切れでその場では入手できなかった…残念そうにしている私を見た息子が、宛名シールに送り先を記入して申し込んでくれた…7月17日に増刷して送ってもらえることになった。その冊子を楽しみに待っています…