プロフィール

Kominami Japan 


自己紹介: 生年月日: 1943年5月
出身地: 秋田県雄勝郡皆瀬村板戸

職業: 特になし 重度障害者支援事業のボランティア

 

 大学卒業後、秩父セメントに入社して、IMB1800というプロセスコンピューターを使ってFortranでセメントの原料調合システムを開発したのがスタートである。昭和48年の第1次オイルショックでは、入手できる重油と電力で最大限のセメント生産を可能にするために徹夜でLP(線形計画法)をまわした。

 その後、システム開発の会社として分離独立し、セメント製造プロセスで開発した多変数予測制御システム(SLTAC)を製品化し、石油・石油化学やガラス製造等のプロセス制御への販売を行った。

 これがきっかけで日本IBMと協業してACS(アドバンスト・コントロール・システム)の販売で全国各地のコンビーナトを廻った。大手石油会社から、当時の会社としては大きなプロジェクトを受注し、協力会社のマネージメントに苦労した。システムのカットオーバーに間に合わせるためにコストがかさみ、大きな赤字プロジェクトと修羅場を経験したが、なんとか首が繋がってきたのは幸いである。

 

 その後バブルがはじけ、プロセス産業への投資が減少したが、日本IBMが主導したMMS(マルチメディアステーション)のコンテンツ開発に参画し、大型プロジェクトの管理を学んだ。今でもローソン等のコンビニで“Loopy”として稼働しているのを見かけると懐かしい限りである。

 

 その後、セメント親会社の合併に伴うパシフィックシステム(株)が設立され転籍することになったが、同時に株式上場への機運が高まった。その上場プロジェクトには常勤監査役として参画し2007年にジャスダック市場に上場できた。翌年には定年退職となり30年近いサラリーマン生活が終わったのである。

 

 これで悠々自適と思い気や2009年年明けの8日に家内が急遽入院・・家内が退院できたのは8月のお盆の頃となった・・・退院後のリハビリに「火曜短歌会」に付き添っている。

 こうした背景から本格的に料理を始めたことであるが、毎日3食の食事を作るには工程管理が必要である。まずは主菜のレシピを決め、食事時に合わせて作業工程のパート図をイメージしてクリティカルパスを回避できるように、調理の順番を決め進める・・・手順を間違えると黒焦げの鍋を磨く羽目になるが、これまた一興である。いまでは、圧力鍋を活用している。

 

 永六輔・中村八大の歌に『生きて行くということは、誰かに借りを作ること。生きて行くということは、その借りを返して行くこと・・・』という歌があるが、小さなことでも役に立ちたいと重度障害者支援事業のボランティアとして、古稀の技術屋がVBAでシステムを開発している・・・ボケ防止のために!