2017年
6月
27日
火
第11回 賢治と歩む会 2017.4.22
「月夜のでんしんばしら」
始まる前に時間があったので、萩原先生に「宮沢賢治 秩父地質調査旅行の歌碑を訪ねて」の企画書を見て頂いた・・・
今日は、遅れて参加される方がおられるとのことで、萩原先生が旅の見どころ話してくれた。長年にわたり賢治一行の足取りを検証し続けてきた萩原先生のお話は興味深く、3名の参加希望があった。
劇団「シナトラ」の原田さんに「月夜のでんしんばしら」を朗読していただき、皆さんが感想を述べた・・・それぞれ感じ方は異なるが、興味深かった・・・
それから萩原先生が、「賢治がどうして電信柱の行進をイメージできたのか」を解説してくれた。賢治は盛岡から花巻まで線路沿いに歩いて帰ったそうだ・・・時には小走りしたことあっただろう。そんな場面で迫りくる電信柱を眺め、電信柱の行進のイメージが出来上がったようだ。
2017年
3月
13日
月
ブログ「よだかの星」へのコメント
萩原先生からのお便り (17.01.27)
1月14日の「第10回 賢治と歩む会」のテーマ「どんぐりと山猫」で「猫山」との関りが話題になったが、萩原先生も地元での調査は行っていないとのことであった。
そこで花巻の鈴木さんにメールを送ったら、早速その関連資料を送ってくれた。
鈴木さんからの資料と「賢治と歩む会」の私のブログをプリントして同封した。その中の「よだかの星」のブログで、私はまだ「修羅」について良く理解できていないと呟いた・・・
すると、萩原先生がわざわざお手紙で「修羅」に関して解説してくださったので、先生のご了解を得てブログに掲載させていただいた。
2016年
12月
08日
木
第9回 賢治と歩む会 16.10.27
「よだかの星」の読書感想会(鈴木守氏のご指摘により12.9に更新)
10月27日「賢治と歩む会」で「よだかの星」をテーマに読書感想会が行われた。
でも、私は「よだか」と聞いただけで、遠い昔の子供の頃を思い出してしまう。昭和25、6年頃で戦後の電力事情はまだまだ十分とは言えず、しばしば停電していた。その頃、どの家にも灯油ランプがあり、夕方になると子供がランプのホヤ(ガラスのカバー)の煤を磨いた。新聞紙をクシャクシャにしてホヤの中に押し込み、手を入れて内側についた煤を綺麗に磨くだ。手の小さな子供の仕事であった・・・
2016年
7月
26日
火
『第8回 賢治と歩む会』 (16.7.23)
「貝の火」の読後感想会
今回「貝の火」をテーマに選んだ野崎さんは、子供の頃に札幌に住んでいて、父親が東京へ出張するとお土産に紙芝居を買ってきてくれたそうだ。その一つが「貝の火」であり、その最後の場面で「貝の火」が赤々と燃えるように輝く画面いっぱいの絵が今でも忘れられないと語った。
私も紙芝居には思い出がある。私の子供の頃はラジオですら各家になかった時代でしたが、兄が友だちの家から紙芝居を借りて来て兄弟に見せてくれたことがある。私が小学2,3年の頃だと思うが、どうしても自分で紙芝居を作ってみたくなり、国語の教科書に載っていた、たしか「子ぐまのぼうけん」という物語の挿絵を画用紙に描き、文章から想像した絵を何枚か加えて紙芝居に仕上げた。ところが紙芝居の台がないのでボール紙で作ってはみたが、フニャフニャで使いもにならなかった・・・そこで父親の大工道具を持ち出して、板の切れ端で作り始めたが中々上手くいかなかった。見かねた5才年上の従兄が手伝ってくれて何とか完成できた。それを冬休みの工作として学校へ持っていたのだが、その紙芝居をみんなの前でやる羽目になってしまった。私は紙芝居を作ることに夢中で、肝心の物語をよく読んでいなかったので、しどろもどろのお話となってしまって、恥ずかしい思いをしたことが、この歳になっても忘れられない。
2016年
5月
10日
火
賢治の座像に「銀河鉄道」を発見 (16.5.10)
盛岡の宮手さんが写真を撮って、教えてくれた
4月23日の「賢治と歩む会」で「ツェねずみ」を取り上げることになり、その会に先駆けて材木町のイーハトーブアベニューにある賢治像の写真を送ってもらった。それは賢治が右手にチェねずみをそっと隠し、優しく潜ませていたからである。
それからしばらくして5月10日のメールで、賢治の帽子のつばの周りを「銀河鉄道999」が走っているようだと知らせてくれた・・・
同じ写真を何度となく眺めていたのに、私は全くそのことに気が付きませんでした。
2016年
4月
23日
土
『 第7回 賢治と歩む会 』 (16.4.23)
「 ツェねずみ 」 朗読を聴く
今度は「ツェねずみ」が課題だったので、この座像の何処かにツェねずみが隠れているらしいと聞いたので、盛岡の友人・宮手さんに頼んで写真を撮ってもらった。
さて、皆さんツェねずみは何処に潜んでいると思いますか。会の皆にも探してもらおうと写真を準備して出かけた・・・
2015年
10月
03日
土
『 第5回 賢治と歩む会 』
『風の又三郎』 転校生・高田三郎は風の又三郎だったのか・・・
私が今回の発題者なので、やや緊張した面持ちで臨んだ・・・第2回のテーマ先駆作『風野又三郎』と今回の『風の又三郎』とは物語の内容は、大きく異なるが又三郎の性格は継承されているという。
『風野又三郎』の又三郎は『風の神様の子っ子』として立ち振る舞い、村の童たちに自慢げに”旅の話”を語ってきかせるのだが、『風の又三郎』では高田三郎という転校生の姿を借りて、又三郎が見え隠れするような展開で村の童たちと戯れる物語となっているようだ。そこで表題のサブタイトルに焦点を絞って会のみんなと考えてみることにした。
2015年
7月
24日
金
『 第4回 賢治と歩む会 』読後感想会 7月4日
『虔十公園林』 と デクノボー精神
第4回のテーマは『虔十公園林』とデクノボー精神であった。虔十は賢治自身であり、賢治の伝記であろうという人もいる。そしてデクノボーは、あの有名な『雨ニモマケズ』の一節に登場する賢治が理想とした人物像である。
このテーマに取り組んでくれたのは、当会の代表である瀧田法子氏である。彼女は、この会の企画から会場の手配、会の司会進行から会報の発行まで、全てを取り仕切ってくれるスパーウーマンである。
2015年
4月
11日
土
『 第3回 賢治と歩む会 』読後感想会 2015.4.11
『 風野又三郎 』を読む
第3回の賢治とあゆむ会に参加した。今回の作品は『風野又三郎』である。同名の作品は、小学3年の頃に兄の布団の中で読んで貰った記憶がある。物語の粗筋は殆ど覚えていないが、又三郎が登場するときの「どっどど どどうど どどうど どどう・・・」だけは何故か耳の奥から聞こえてくるような気がする・・・今回は遠田雅子氏が『風野又三郎と私』と題して、読後感を発表してくれた。
2015年
2月
28日
土
『 第2回 賢治と歩む会 』読後感想会
『なめとこ山の熊』 を読む
家内と息子は、嫁いだ娘を誘ってランチに出かけた。私はインスタントラーメンを食べながら、今日の『賢治を読む会』に出掛けたものかどうか、まだ迷っていた・・・熊谷市短歌会の会長は、予ねてから『賢治の会』へ誘ってくれていたが、昨年の5月頃だったと思うが『賢治の会は解散になってしまったよ。』と聞かされていた。そんな経緯もあったし、結局『賢治を読む会』に参加してみることにして、1時半過ぎに自転車に乗って家を出た。