2018年
9月
12日
水
秋田から熊谷の送り盆へ 2018.8.14~15
明日は熊谷の送り盆をしなければと14日の朝に湯沢駅まで送ってもらった…実家から1キロ強の処「ミンサ」の叔母に家に立ち寄りお盆さまを拝ませてもらった…従姉のチエ姉も富山の兄と同年齢で80才を過ぎ足腰がめっきり弱って、家の中で椅子を押しながら移動していた…
甥が車で待っていたので、挨拶もそこそこに失礼してしまい、申し訳ないことをした…
2018年
8月
31日
金
ふるさとの迎え盆 2018.8.13
今日からお盆だし、兄の三回忌に帰ってから暫く経つので、お世話になったお家にご挨拶させてもらうことにした…
道路を挟んだ「ムゴノエ(向かいの家)」の子供の頃のイメージであるが、何かと助け合って暮らしていた…甥や姪たちは、ムゴノエの二人の娘さんに負んぶしてもらって育った…特に下の娘・りっちゃんは毎日のように家に来て子守をしてくれていた…今では茅葺の家は、建て替えられ大きな家に変り、冬にはスキーで滑り降りて土手に大きな車庫が作られ、除雪機も置かれていた…まず、ムゴノエに出かけて、ばっぱとあばを拝ませてもらった…
午前中だったので、仏壇のお掃除を始めたところであったが、快く迎えてくれた…二つ上の正さんから暫くの間、村のことなど話を聞いた。その話の中で弟の篤君と一緒に小学一年から四年まで担任してくださった黒澤先生がお亡くなりなったと教えてくれた…
2018年
8月
26日
日
じゃがいも掘り 2018.8.12
『兄の七回忌、義姉の十七回忌』のためにやって来た姪と姪の娘を見込くり、お昼寝タイムである…
私は居間のソフアに横になった…午前中にカラフケ(噴湯)へ降りた疲れもあり直ぐに眠り込んでしまった…少し肌寒さを感じて眼が覚めた…私の住む熊谷ではクーラーを点けずにお昼寝など考えられないが、北側の窓を一枚開けておくだけで涼しい風が入ってくる…この夏の熊谷の猛暑を思うと信じられない程の違いだ。
2018年
8月
23日
木
小安峡温泉の噴湯 2018.8.12
齢をとると夜中に目が覚める…
そしてトイレに行き、冷たいお水を飲み喫煙室で一服する…こんな事を二、三度繰り返し翌朝を迎えた…
待ちかねたように六時ころ朝風呂にのんびり入り、爽やかな気持ちで朝を迎えた…部屋に戻ると入口の床を譲ってくれた若者二人は、まだぐっすりと眠り込んでいたが、甥が起きて冷蔵庫から缶酎ハイを出してきた…
2018年
8月
16日
木
兄の七回忌と義姉の十七回忌 2018.8.11
秋田の甥から8月11日に「兄の七回忌と義姉の十七回忌」の法要を行うとの知らせがラインで入ってきた…しばらく帰っていなかったし、お二人には随分と世話になったので帰ることにしたが、お盆の時期なので新幹線の席が取れるか心配。
1ケ月前に緑の窓口に並んで往路を確保、そして4日後に帰路のキップを確保した…
11日5時に起床し朝食の準備を整え、息子に熊谷駅なで送ってもらい、6時35分の新幹線に乗った…大宮で秋田新幹線「こまち」に乗換え、9時45分に大曲駅に着いた…ここ大曲で新幹線はスイッチバックで方向転換となる…
2018年
7月
06日
金
「夢二繚乱」東京駅美術館 2018.7.1
6月のある夜、NHKでこの番組を見た…
桑子:「『埋もれているものを掘り出して世に送る』。澤田さんの信念と努力を知った上で作品を見ると、夢二の優しい画風の絵が、より愛おしく感じる。」
有馬:「ホンモノを見抜き、腹を据え、それを世に問う。気骨の出版人の仕事ですね。そんな仕事や生き方をしたいものですね。」
桑子:「映像に出てきた作品展は、来月(7月)1日まで開かれています。」
2018年
4月
22日
日
高校同期のお花見会 2018.4.1
平成30年4月1日 新宿の三平にて恒例の「湯沢高校と湯沢北高のお花見会」が開催された。「高校のころの仲間たち」のDVDを大谷先生にお届けしたしたら、大層喜ん湯沢高校の校歌を大声で歌ったとのお便りが届いた.そこで、今回のお花見会の様子を大谷先生にお伝えしようとDVDを作成した。
2018年
3月
30日
金
荒川堤の桜は満開 2018.3.28
3月27日は朝から元佐川長官の証人喚問を見ていた…そして午後の国会中継も見た。
あの「刑事訴追の恐れがありますので…」という決まり文句を繰り返し聞くことになった…何ともモヤモヤした気持ちで苛立っていたのであろう…勤めから帰った息子のちょっとしたコメントに腹を立ててしまった。
2017年
8月
13日
日
賢治 秩父調査旅行の歌碑を訪ねて
宮沢賢治が盛岡高等農林学校の2年生の時に、関豊太郎教授に引率されて、大正5年9月2日から1週間にわたり、秩父地方の地質調査にやって来てから100年も経った。
熊谷短歌会では、平成29年5月31日に第6回文学散歩を行い、賢治が旅した秩父路に建立された賢治の歌碑を訪ねた。その時の写真と賢治が秩父路に残した記録を取りまとめた「宮沢賢治 秩父地質調査旅行の歌碑を訪ねて」のDVDをご紹介する。時間は、およそ9分弱です。
2017年
5月
28日
日
妻沼 道の駅の薔薇 2017.5.28
昨夜は同袍寮OB会で少し呑み過ぎたようだ。青柳先輩の子供たちや山王さんも参加してくれたので、嬉しくなって3次会までお付き合いしてしまった・・・
そんな朝、食事の支度を終えたところに、突然談話が入った。本日の熊谷短歌会の理事会で発送する大会入賞者の集合写真が準備できていないというのだ・・・早速そのプリントに取り掛かったところ、こんな時に限ってPCとプリンターとの通信不良が発生してしまった。最終的にはUSBで接続してプリントを始めたら、今度は印画紙が数枚たりなかった・・・
不足分は、後日発送することにして理事会にでかけた。
2017年
5月
20日
土
日本一広いポピー畑 ポピーまつり
5月20日(土)の午後、鴻巣のポピーまつりに出かけた。何しろ「ポピーの作付け面積」では、日本一だそうで見渡す限り赤、黄、ピンクの花で埋め尽くされていた。
実は5月3日にもポピーが咲き出した頃かと、車でやって来たが、その時は畑の隅でほんの五、六本花をつけているだけであった。そこには農家のおばあさんが、懸命に草取りをしているだけで、空にはひばりが啼いていた。
2016年
8月
13日
土
世界遺産 国立西洋美術館 (16.8.3)
8月3日は旧秩父セメントの初出荷記念日であったが、そのOB会企画の「上野・鈴本演芸場」での寄席観賞会に参加した。配られた缶ビールを飲みながらお弁当を食べ、落語を楽しんだ。久々振りに大口を開けて笑った。
終わってから同期会があったが、予定がありその時間調整のために上野公園に立ち寄った。
2016年
4月
02日
土
荒川土手の桜と菜の花
今年は3月末までは天候も安定せず、薄ら寒い日が続いたが、4月に入ると荒川土手の桜も一気に開いた。自宅から荒川土手までは300mほどなので、4月2日に孫を乳母車に乗せ弁当を抱えて花見にでかけた。南小学校の裏手の土手下に毎年我が家がシートを広げる場所がある。既に道路脇には車が長々と駐車していたが、幸い例年の桜の木の下は空いていた。早速シートを広げ荷物をおろした。今日の弁当は、朝に準備した”里芋と椎茸の煮つけ”と出がけに用意した卵焼き、キュウリの朝漬け、トマト、おにぎりに焼きそば位のもんだが、久しぶりに野外で食べるお弁当は、赤城下ろしの長い冬を抜け出し春がやって来たいう解放感があった・・・ただ、缶ビールを忘れてしまったのは失敗であった。孫も乳母車に乗って初めて見た桜と一面の菜の花を飽きもせず、キョロキョロと長い間眺めていた。
次の日から午前中は雨が降ったり、お花見日和は長続きしなかったが、9日はお花見日和となった。娘の連れ合いがやって来たので、花見にでかけた。急だったのでコンビニでそれぞれ好みの弁当を仕入れ、また同じ場所に陣取った。今度は忘れずに缶ビールをポケットにいれた・・・旨かった。
2016年
3月
20日
日
熊谷市 さくらマラソン (16.3.20)
毎年さくらマラソンの人気が高まり、多くの市民ランナーが参加するようになってきた。今年は息子の高校時代の友人が参加するというので応援にでかけた。出かけると言っても自宅から200メートル位の所が荒川土手で、その土手に沿った桜並木の下の道路がマラソンコースになっているので、9時過ぎに歩きで家を出た。これは先頭集団の写真で、ゼッケンが300番代の選手が競り合っていた。
2015年
11月
01日
日
秋の薔薇 妻沼の道の駅
もうすぐ赤城おろしの厳しい冬がやってきますが、今日は良く晴れた秋日和です。
お散歩日和なので、孫を連れて”妻沼道の駅の薔薇園”に出かけました。近ごろイブモンタンの”枯れ葉”が耳に馴染む季節となり、何となくうら悲しい感じがして来るのです。
そんな晩秋に華やかな薔薇を眺めた・・・
2015年
4月
29日
水
箭弓稲荷の藤と牡丹
今年も藤と牡丹の咲く頃を見計らって箭弓稲荷にやってきた。昨年は社殿の修復のためにブルーシートに覆われていた社殿が全容を見せてくれた。その社殿の前で写真を撮ろうとしていたら『シャッターを押しましょう』と声をかけてくれた方は、地元東松山市のボランティア・ガイドさんだった。
2015年
3月
28日
土
直実の二人の姫の桜
熊谷市役所の隣の中央公園に早咲きの枝垂桜がある。これは京都円山公園から移植された桜で、直実の娘・千代鶴姫の愛称で呼ばれている。この桜が咲き始めると熊谷にも桜の季節がやってくるのだ。
直実の姉娘・玉津留姫と呼ばれる枝垂れ桜は、いつも少し遅れて咲き始める。
2014年
11月
16日
日
第10回熊谷産業展に行ってみた
1988年(昭63年)に熊谷市でさいたま博覧会が開催された。その跡地がスポーツ公園として整備され、ラグビー場を中心に、陸上競技場やドーム型の屋内競技施設も造られている。
ここには息子の術後のリハビリにしばしば出かけた運動公園である。この公園近くの八木牧場のソフトクリームは絶品である。
この運動公園の陸上競技場とドームの間の広場で、11月15~16日の両日に第10回熊谷産業展が開催されたので出かけてみた・・・
2014年
11月
13日
木
河口湖のもみじ街道を訪ねて
近所のスパーが募集したバスの日帰り旅行に家内が、数か月前に応募して当選してしまった・・・家内一人で参加させるのも心配だったので、前々日に追加で申し込んだ。
当日は、熊谷駅南口に朝7時半に集合し、総勢41名のバスツアーがスタートした。ルートは東松山から関越に乗り、中央道を経由して山梨に向かい、順調に走行し2時間弱で最初の目的地に到着した。
○ スーパーの募りし日帰りバスの旅行く手も知らず妻に添い行く
高速を下りてすぐの所に”わさび漬センター”があった。到着すると、お店の案内嬢がバスの昇降口でマイクを握り、長々と商品紹介が始まった。
社内で足踏みをしている人もおり、早速お手洗いを目指す人が多かったが、待ち受けていたのは、お土産品の数々であった・・・
○
高速を下りて立寄りし「わさびセンター」下車を妨ぐ口上長し
○ 七種ものわさび漬けをば試食して三種選びし旅の始めに
2014年
11月
04日
火
荒川沿線の鴻巣コスモス街道
”暑いぞ熊谷”から今年最後の花の便りをお届けしようと”鴻巣コスモス街道”へ出かけた11月4日には、来春の”ポピーの種”を撒くために、除草剤の散布が始まっていた。まだ刈り取られずに残っていたコスモスの花は、盛りを過ぎて色あせたものであった・・・
あまりにも残念だったので、昨年ここを訪れた時に撮影した写真を掲載することにした。トップに掲載した写真も昨年のもです。来年は、タイミングを逃さず新鮮な写真をお届けします。
2014年
10月
13日
月
妻沼聖天山 奉納薪能を見物
13日、申し込んでおいた”妻沼聖天山の薪能”の日がやって来た・・・運悪く台風19号が、大阪辺りに上陸したと報じられ夕刻から雨と風が強まってきた。聖天さまは何度も行ったことがあるが、雨天の会場”妻沼中央公民館”の場所は全く判らないので、少し早目の16時半ころ家をでた。次第に暗くなり雨も強くなり、私がボランティアで来ている西野の児童デーサービスの駐車場でカーナビを確認した・・・目的地をセットして再び出発したが、通り過ぎてしまった。引き返そうとしたところに食事処があったので、ここで夕食を食べることにした・・・
会場に着いた時には18時を過ぎて、ご挨拶が始まっていたが運良く、舞台の近くに席が二つ空いていた。ほどなく観世喜正氏から演目の解説があり、興味深い内容であった・・・演目の一つ”実盛(斉藤別当実盛)”とは、平家から当地の所領を預かる庄司であったが、先祖伝来の本尊を祀り”聖天山”を1179年に建てたのだという・・・この実盛は、木曾義仲が幼少の頃に助けたことがあるそうだが、義仲が挙兵し”篠原の合戦”で平家方として合いまみえることになる。実盛は70歳を過ぎて白髪を墨で染めて出陣し、打ち取られ首洗いで白髪になった実盛と義仲が対面しというのだ・・・
2014年
10月
04日
土
古民家でのお香と雅楽の夕べ
午後3時過ぎに電話が鳴った・・・以前申し込んで置いた”お香を聞く会”が始まっているという知らせだった。申し込んだときは、『高校生以下の子共同伴でないと参加できない。』と断れていたはずだったのに・・・
それでも、折角だから参加しようと急いで身支度をして案内図をみると、自宅から荒川大橋をわたり、土手沿いに川上に2キロ程走ったところにある”JAくまがやふれあいセンター江南”の近くであった。
このJAの直売所には、何度となくきているが、竹林に囲まれた茅葺屋根の古民家には気付かなかった・・・直売所の駐車場に車を置き、畦道を拡幅したほどの道を歩いて行くと、奥まった所に茅葺屋根が見えてきた。その右手には2軒の大きな住宅があり、重要文化財の指定を受けた古民家は使われていない様子であった。古民家の横手の納屋の軒先で受付をすませ、”お香を聞く会”の会場に入った。(親子香道教室)
2014年
9月
14日
日
渋沢栄一 記念館を訪ねて
朝急に”渋沢栄一記念館”に行きたいと言い出したので、カーナビにセットしてでかけた・・・途中、籠原の娘の家に立寄り娘も誘い、深谷市郊外に向かった。自宅からの距離は20キロほどでしょうか・・・カーナビを頼りに近くまで行くと案内板があり、ほどなく記念館に到着した。
「富岡製糸場」が世界遺産に登録されたのを機に「富岡製糸場と絹産業遺産群」として富岡製糸場を創った深谷市の三人の偉人たちが脚光をあびて、最近は見学者も多いようである。
流石に幕末から明治、大正、昭和にかけて実業家として活躍した渋沢栄一の記念館は立派な建物である。館内に入りウロウロしていると、案内する方がやって来て、中々お目にかかれないものを見せてあげると言うのだ。まるで神社仏閣のご神体かご本尊様のご開帳でもあるかのように・・・この建物の裏側には、何故か体育館が隣接しておりバスケットコート一面ほどの広さがあった・・・この体育館の裏手に巨大な渋沢栄一像が、人目を避けるかのように立っていた。この像は、当初深谷駅前にあったものがこの場所に移設されてという・・・やはりこの場所では、案内してもらわないと、見ることはないだろうと思った。でも、ここは利根川沿いで、周りに高い建物もなく眺めは良かった。左手遠方には鋸型の妙義山、中央には裾野を広げた赤城山、そして右手遠方には男体山などの日光連山が見えた。
2014年
7月
22日
火
小さな発見
7月22日は熊谷うちわ祭りの最終日であったが、中央公民館で行われる火曜短歌会に出かけた。道路の混雑を予想しいつもより早めに家をでた。
少し余裕があったので一休みしようと公民館の横手の日陰に入ったら、軒下からキラリと光る水滴が落ちてきた。近づいて観ると壁に打たれたモルタルの石灰分が雨水で溶け出し、小さな鍾乳石が成長していた。
以前、秋吉台の鍾乳洞も見たし、秩父の武甲山の麓の鍾乳洞も見学したことがあるが、「大自然の営みがこんなところでも・・・」などと、大げさなことを考えながら、車に積んでおいたカメラを取ってきて写真に収めた。
○長梅雨のモルタルつたい軒下に鍾乳石の芽を育て居り