平成最後の秩父の芝桜 4月28日

            羊山公園駐車場からの武甲山
            羊山公園駐車場からの武甲山
   芝桜園(2019年4月28日午前8時)
   芝桜園(2019年4月28日午前8時)

朝食を済ませ6時半頃に秩父へ向けて出発した。煙草を忘れたので秩父の手前のコンビニに立ち寄り一服した…道路はまださほど混雑してなかったが、羊山公園に近づくにつれて車が多くなった。それでも何とか8時前には到着できた…芝桜園入口の係員が『8時前まで百円です。今30秒前です…』と呼び掛けていたので、急いで入園した…

  常設テレビカメラ横のベンチから
  常設テレビカメラ横のベンチから

常設のテレビカメラの横に置かれたベンチに腰を下ろした…秩父農高生がベンチを製作し寄贈したとそれを据え付ける映像が放映されていた…朝8時はまだ寒くダウンを重ね着して行ってよかった…

向こう側の斜面の芝桜にはまだ日射しだ届かなかったので、暫くベンチに座って待ったが、9時過ぎても日差しは届かなかった…

     平成最後の武甲山
     平成最後の武甲山

昭和44年4月1日 文京区本郷で入社式を終え、同期23名が熊谷経由の秩父線でやって来た…下宮地の社宅で合宿しながた1週間ほど秩父セメントの新入社員研修を受けた…

その時、武甲山を見てから50年もの月日が流れた…昭和53年6月に父が亡くなり暫く会社を休んだが、8月に東京から秩父に転勤し、7年ほど朝な夕なに武甲山を眺めて暮らした…

園内にチューリップが咲いている一角があったので写真をとったが、もう日差しも強くなっていた…

園内には秩父地場産の屋台が並んでいたので見て廻った…11時前でお昼には早かったが、朝食が早かったせいかお腹もすいてきたので、秩父蕎麦を食べた…天ぷらもパリパリで久しぶりの秩父蕎麦は美味かった…

   上の町の社宅跡からの武甲山
   上の町の社宅跡からの武甲山

羊山に登ってくる行列を横目に下ったが、道の駅は満車で隣のダイソウの駐車場に止めた…

そこは秩父セメントの運動場があった辺りだ。社内運動会では各部が種目別に得点を加算し団結力を競った…ジュディーオングの『魅せられて』が流行っていた頃の事だ…

下宮地の社宅から係長になり上の町社宅に越すと、2階から秩父夜祭りの冬花火が良く見えたのを思い出した…今はマクドナルドになっていた…

この上の町社宅の近くに子供たちの絵の先生のお宅がまだあった…もう誰も住んでいない様子だが…

その頃、子供たちと羊山へ武甲山の写生にやって来た。山は大分姿を変えたようだが、物置を片付けていたらその頃の武甲山の絵ができたので見比べてみようと思った…

 山頂付近の石灰石の採掘が始まり暫く登山できなくなるというので、家族で登ったことがあった…息子が小学校へ上がった頃で、娘を抱えながら登った…その頃は、まだ若かった…

    路地裏路の藤(40年前と同じ)
    路地裏路の藤(40年前と同じ)

上の町の社宅跡から裏道を抜けて秩父神社に向かった…息子は秩父神社の同級生と遊ぶために良く通った裏道らしいが、私には初めての裏道だった…

すると同じところに藤が咲いていていると、息子が大層懐かしそうに藤の写真を撮っていたので、私も撮ってもらった…昔のわんぱく時代を思い出したのであろう…

    秩父神社の境内
    秩父神社の境内

秩父神社にやって来た…12月3日の秩父夜祭りには、この広場に屋台が集まり、団子坂という急な坂を引き上げて三峰山の女神が待つ市役所横の広場へ向かう…秩父に7年も住んでいたが、勇壮な団子坂越えのシーンを目にするのは難しかった…祭り当日は、例年寒さが一段と厳しくなり、路地裏まで大混雑となった…

 秩父夜祭り ユネスコ無形世界遺産
 秩父夜祭り ユネスコ無形世界遺産

そこには『秩父夜祭り「山・鉾・屋台行事」ユネスコ無形世界遺産 登録決定』の垂れ幕があった…

こんな垂れ幕を見ると、僅か7年間秩父に住んでいたことがあったというだけで、何だか誇らしく思えてくるのは不思議なことです…ニュース報道で知ってはいたが、実感したのは今日が最初だった…

   左甚五郎作『つなぎの龍』
   左甚五郎作『つなぎの龍』

奥の殿の右壁面に名工・左甚五郎作の『つなぎの龍』があった…息子は宮司のご子息・たけちゃんに教わったと言っていた…二人は小学校の同級生で、社殿に入り込み『かくれんぼ』などをして遊んでいたそうで…時には、こっそりお賽銭をくすねてお菓子を馳走してくれたこともあったという…

   札所十五番 少林禅寺
   札所十五番 少林禅寺

羊山公園でもらったパンフレットに牡丹が見ごろと聞いてやって来た…

そこは札所十五番少林禅寺であったので、秩父札所巡りの約束を果たせずにいることを思い出してしまった…6月2、3日の同期会でまた督促されそうだ…息子はここの住職の子供に『クワガタ』を五十円で譲った覚えがあると、少林禅寺への道を思い出させてくれたようだった…

少林禅寺には、お菓子と抹茶のお接待を申し受けるとの案内があったが、それにも益してベンチに灰皿が置かれていたことが、私には大いなる安らぎを与えてくれた…

少し歩き疲れていたし、ベンチに腰を下ろし一服しながら、ゆるりと牡丹の花を眺め、憩いのひと時を過ごすことができた…

   秩父セメント埼玉事業所跡
   秩父セメント埼玉事業所跡

秩父に住んでいた頃の話をしながら、道の駅に戻った…それから道の駅の裏手に廻ってみたら、入社した頃の埼玉事業所の一部がそのまま保存されていた…木造の建屋だったが、内部は漆塗りで良く手入れが行き届いていたのを覚えている…

当時は右側に建屋が続き、そこには事業所長が鎮座し、建物からも威厳が感じられたのだが、もはやその面影を偲ぶことも難しい…

    有恒神社の墓標の横で
    有恒神社の墓標の横で

埼玉事業所の左側で、正門を入って右側にあった『有恒神社』が今も祀られていた…この『有恒』は、孟子の『無恒産者無恒心』から採ったもので、秩父セメントの社是として研修会で教え込まれた…

当時は月例祭が行われていたが、海外出張する人は、ここでお祓いを受けてから出発するほど、手厚く祀られていた…

     新築された埼玉事業所
     新築された埼玉事業所

その後に新築された埼玉事業所の建屋であるが、この頃には小野田セメントとの合併の機運も高まってきていたようで、工場の技術発表会に小野田セメントの技術者も参加されていたのを覚えている…

その流れの中で、私が所属していたソフト会社も小野田のソフト子会社と合併することになった…

私は娘と同級生がいた八幡屋に立ち寄り何種類ものお菓子を取り混ぜ、娘の土産に買い求めた…

私が道の駅で武甲正宗を見つけて懐かしがっていると息子が買ってくれた…今日は4.2キロも歩いたので、一休みのつもりで横になったら夕刻まで眠ってしまい、夕飯はチャーハンに菜の花のお浸しとなってしまったが、お酒のまわりも良く平成最後の秩父路のドライブとなった…

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コメント: 1
  • #1

    湘南Boys・Watta (金曜日, 03 5月 2019 07:24)

    武甲政宗気と菜の花のお浸し �すすむワケだネ
    私のことだが会社の同僚が秩父出身で何度か遊びに行った、半世紀も前なので記憶が飛んでいるがキノコ採りと川でバーベキュー『マムシがいるから気を付けて!』と言われたことが思い出します