篁 平成25年 第14集 

 

  今年の朝ドラ「あまちゃん」は大人気で、「じぇじぇじぇ」は流行語大賞に選ばれたほどであった。私も盛岡で南部訛り馴染んだことがあるが、遠く離れてみると同じ東北の秋田訛りとも似ていることに気付いた。

 秋田でも祖母のことを「ばっぱ」と呼び、この響きとドラマの「ばっぱ」の仕草から同じ年頃でなくなった母を思い出した。そんな訳で今年は母の歌を作ることにした。

 

 今日(2014年5月6日19時30分~20時30分)このページを作っていたら、NHK新日本風土記で三陸鉄道が放映されていた。三陸鉄道の全線開通に向けてのドキュメンタリであり、懐かしい訛りに聴き入りながら観てた。

 [やませ]の吹く寒い日に「人も耐えて、田んぼ耐えて]と言ったばっぱの一言が印象てきである。そして被災者の集合住宅では歌えなかったというおばさんも震災後初のカラオケ列車で歌う笑顔は素敵でした。

そして最後の歌は「北国の春」でした。

「訛りが母を想わしむ」

○ 朝ドラの北三陸の北の海女「ばっぱ」の訛りが「(あばぁ)」を想わしむ

 カタクリの花咲く畑に鍬を打ち腰伸ばしつつ母は汗拭く

 朴の葉の香り懐かしおにぎりの山の畑に小豆撒くころ

 ぜんまいの香りも(たぎ)る鍋探り母は卵を一つ取り出す

 うらうらと若葉も薫る陽だまりにぜんまいを干すむしろ敷き居り

 ジリジリと油蝉啼く夏の午後ぜんまいを揉む母の手力

 ぜんまいを仲買人に手放して小遣いくれし母が愛おしや

 病床の母を慰めし風鈴の今は軒下巡礼の鈴

 七日過ぎ寂しさ漂う父の顔口論をする相手亡くして

 若き日の悪戯ぶりを語り合う兄弟の声母に聞こえしや

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<歌集に選ばなかった歌>

 

 秋暮れて籠一杯のきのこ下ろし誇らしげに汗拭う母

 雪解けに帰り路失う愛犬の 母は炉辺で行方案じる

 猟犬の訓練受けしハッピーは 一山越えた里辺さまよう

 十日経ち痩せ衰えしハッピーを母は炉辺で温めてやり

 

 如月の夜明けに出火し(けむ)の中母は吾が背広(ふく)取りに戻りぬ

 焼け落ちる母屋の二階の火柱を素足で立ちて母と視て居り

 牛小屋の仮の住まいのストーブの母が煮物の味懐かしや

○ 小雪降る雪どけ水の小川辺に洗濯すすぐ母の手赤らむ

 

 昭和41年2月25日の明け方、自宅の風呂の残り火から出火しまだ雪深い真冬に焼け出されしまった。明治生まれの母は、自分のことよりまず家族のことを考える性分であった。そんな母は、自分の病を黙ったまま家事の後始末をしながら家が建つまで我慢していたのであろう。新しい家ができ病院で検査を受けた時には子宮癌第4期と診断された。しばらく入院治療を続けたが、手術もできない状況であり母の希望で自宅療養することになった。父は母に寄り添い看病を続け、「痛い、痛い」という母の腰を摩っていたと亡くなってから聞いた。母は、5人の子供を育てあげた苦労に報われることもなかったであろう63歳の一生であった。

(カタクリの花が懐かしく、武田さんの写真を拝借しました。ゴメンね!)