「Cool Jazz Project+2」
連休の終りに息子と「新宿PIT IIN」のジャズライブに行く予定になっていた…
高校時代のマドンナのメールにその予定を返信すると一緒に行きたいというので、当日の正午に新宿東口で待ち合わせた。少し遅れてマドンナがやって来たので、高校や大学の同期でよく集まっている「三平」へ向かった。
息子に「三平」はどんな処かと訊かれていたので「三平へ来ていて、俺に異変があった時のためにも覚えておいた方がいいからね。」と冗談をいいながら案内した。六階の日本料理店に案内したが、内装がすっかり真新しくなっていたいた。いつも飛世さんが予約してくれる小部屋はそのままキープできていたが、無口だがいつも親切にしてくれる大将は見当たらなかった…
これまで入ったことがなかった一般席の窓側の席についた…新宿のお店にしては広いスペースでゆったりした時間を過ごすことができた…その上、ドリンク・バー付きお刺身定食が千円とお手頃で、私はお刺身をつまみにランチビールを呑みながら高校時代の悪さやチョットした自慢話など息子に話した…
ゆっくり食事して時間も迫ってしまったので、少し急いで会場に向かったが、場所が判らず焦った…伊勢丹の近くに交番があったので尋ねると直ぐ近くまでは来ていた。
「新宿PIT IIN」は既に開場されていたが二列目の席に座ることできた… 私はセットの缶ビールを呑みながら開演を待った…
今日の「Cool Jazz Project+2」の主要メンバーは、佐藤浩一(piano) 宮上啓仁(bass) 今泉総之輔(drums) の三名、それに加えて橋爪亮督)纐纈歩美(As)であった。
私が以前入手した「クール・ジャズ・コレクション」の最初の特集はマイルス・デイヴィスで80枚ものCDで構成されていたが、クール・ジャズとは何かについて良く解っていなかった…そこで、クール・ジャズについてネットで調べてみた…
クール・ジャズ (Cool Jazz) とは、ビバップの反動として1940年代後半に生まれた、白人寄りの傾向をもつジャズのジャンル。
理知的でコントロールされて聞こえる一方、ビバップにある躍動感や情緒感には欠ける傾向にある。
また、クール・ジャズの反対のジャンルにホット・ジャズがある。
スウィング・ジャズの反動から出たビバップ(創始者はチャーリー・パーカーやディジー・ガレスビー)は、陽気で奔放な演奏主体を持っていた。
しかし、音楽的成熟のピークを経た後には、その命でもあったアドリブ(即興演奏)も単調になりがちになった。
その反動として奏法・展開などに抑制の効いたスタイルを持ち味とする、このクール・ジャズが生まれた。
ジャズの発展は一連のニューオーリンズ・ジャズなどの反動からスウィング・ジャズが生まれた背景と、このビバップからクール・ジャズが出てきた音楽的背景が似ていることを指摘する評論家もいる。
このクール・ジャズはビバップに比べ、控えめなテクニック表現とリズムで、クールにも聞こえた一方、アンサンブル・サウンドやその楽器編成、音楽構成も重要視されていた。
ビバップが黒人のためのジャズであるのに対し、クール・ジャズは白人による白人のためのジャズだと、後に定義づけられることになったが、創始者はマイルス・デイヴィスと言われ、彼のアルバムクールの誕生 (Birth of the Cool)がその起源とされている。常に進化を望む彼が打ち出したこのスタイルは、彼らが自らを黒人であることさえを否定するかのようにも見え、彼の思惑通りか「ジャズは黒人が演奏するもの」という当時の概念を結果として否定することになったのである。
このようにしてジャズは時代とともに変わってきたことが概略理解できた。
リーダーの佐藤浩一さんは纐纈歩美さんと2年前の熊谷のライブでお会いしている…
彼は楽器に囲まれた幼少期を過ごすうち、高校生の頃にジャズに出会い、音楽大学への進学を決意した。在学時代にバークリー音楽大学に留学を希望し、ボストンでダニーロ・ペレス氏らに師事する機会に恵まれた。
卒業後の2006年、ニューヨークに移住しケヴィン・ヘイズ氏らに師事、ピアニストとしての技術に徹底した磨きをかけた。
今日も澄んだ音色で清々しいクールなピアノを聴かせてくれる彼の指の動きが良く見える席だったので、クール・ジャズを堪能できた…
宮上啓仁(B) さんには、今回初めてお目にかかったので、ネットで彼のプロフィールを調べてみました…
1982年2月1日生まれ。15才の時に独学でエレキベースをはじめロックやパンクに没頭する。
8才の時に甲陽音楽学院に入学したのをきっかけにジャズに出会い、ウッドベースを初め、上山崎 初美氏に師事。卒業後は、西山 満氏のもとでJAZZを勉強する。2004年には石田 浩基(p)のバンドに参加し、浅草ジャズコンテストにてバンド部門グランプリを受賞。
現在は大塚 善章(p)Trio Le Fraisや、高橋 知道(ts)をリーダーとする「Bring Station!!」など、他多数のバンドに参加。関西を中心に精力的に活動を続けている。
2007年、ネクストジャズコンペティションで準グランプリ受賞。
ともかく宮上さんのベースは生きが良かった。ドラムスの今泉さんのけしかけに応えて、ベースの響きがズンズン走った…その熱のこもった演奏に聴いている私たちもそのリズムに乗せられた感じがして心地良かった。
私は、演奏を終えた宮上さんの元へ行き「随分と走ってましたね…」と声をかけると喜んで握手をしてくれた…彼の手はとても柔らかく感じた。
私はベースの音が好きでChin(鈴木良雄)サンのライブをよく聴きに行くが、また宮上さんのベースを聴くチャンスがあればと願っている…
今泉聡之輔さんも今回が初めてである。
彼は、青森十和田生まれで、三沢米軍基地のCLUB街で、HIP-HOPの影響受けて育ち、サンプリングソースでjazzに出会い、DRUMSを始める。そしてjazz drumを江藤良人氏に師事した。
その実力は、土岐英史、竹内直等ベテラン勢からも認められるjazzの基礎に加え、スガダイローTRIOを務める個性豊かなドラマーである。
また、ユニークなのは、3M4star認定のカーラッピング施工会社SO Tech 代表の肩書きももつことである。
纐纈歩美さんは、1988年生まれ 岐阜県出身で、トロンボーンを演奏する父の影響で、幼少の頃から、ジャズ、ラテン、フュージョンに親しむ。彼女は、3歳よりピアノを習い、中学でサックスへ転向し、高校から本格的にジャズを始め、椿田薫氏に師事した。
その後、甲陽音楽学院名古屋校にてさらに音楽について学ぶ。この頃から岐阜、名古屋を中心にライブ活動を始める。
2010年ポニーキャニオンより、1stアルバム「Struttin'」にてメジャーデビューを果たす。
纐纈さんが2年前(16.8.6)に熊谷のライブでお会いし、昨年の上野ジャズフェスでも聴いている…今回はヘアスタイルを変えられてせいか、随分と印象が違って見えた…終演後にそんな話をして写真を撮らせてもらった…
橋爪 亮督さんは、(Tenor&Soprano Sax)
1970年生まれで、15歳でアルトサックスを始める。高校時代よりインストゥルメンタルのバンド活動を開始する。
岡山大学ジャズ研(川島哲郎の後輩)に在籍中の19歳のときに、ボストン・バークリ-音楽大学より奨学金を受け20歳で渡米し、23歳の時にテナーサックスに転向する。
専攻のジャズ作曲科を卒業後、自らが作・編曲を手掛けた初のリーダー作、"AND THEN YOU HEARD TALES"(HAO RECORD 428)を1996年にリリースする。
橋爪さんのテナーサックスも初めて聴いた…彼はすらりと背が高くハンサムな青年であった…しかし、彼のサックスは野太く男性的な中に繊細な響きがありとても魅力的であった…さぞかし女性にもてるだろうと思いながら、隣に座ったマドンナに「好い男だね…」と小声で話しかけると微笑んでいた…
ライブが終り外へでると夕暮れ時であった。新宿駅へ向かう途中でマドンナが「どん底」の看板を見つけ、懐かしそうに立ち止まり「どん底、まだあるのねえ」と言った…
まだ早い時間帯だったので入ってみた。
薄暗く狭い階段を登り奥まった中二階の部屋に通された…テーブルが二つほどの狭いスペースではあるが、厨房が覗けるような処であった…彼女は辺りを見回しながら「変ってないのね…」と呟き、大層懐かしそうにしていた。おそらく50年も前のことであろう…
それからピザとか三品ほどをオーダーしワインを呑みながらか軽い夕食を摂った…
彼女は連休の前半に特別集中講座の講師を務めたそうで、ジャズライブが良い連休最終日となったようだ…
外に出ると向こうの方の「末広亭」軒先の提灯に灯りが点っていた…
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