中学同期の還暦祝いの会
‐小安温泉多郎兵衛旅館にて (03.6.21)
日当たりのよい畦道からバッケ(蕗の薹)が顔をだし、ねこ柳がやわらかな綿毛をふくらます頃、私たちはこの中学に通い始めました。それぞれ違う小学校から、ドキドキしながらの出会いがありました。そして黄緑が薄らとふくらんで見える山々を眺めながら、野外での写生をしましたね。そこには初めて言葉を交わす友がいました。
・春の運動会の前には、校庭の雪割りをしたよね。
・天気の良い日にはこの松林でみんなんが車座になって、弁当をたべたよね。
お互い決して豪華とは言えないおかずを一箸隣の友の弁当から頂いた。
・『この辺に土俵があったよね。』と埼玉から車で駆け付けた友が言った。
・そして夏、菅生橋の下の河原にカバンを投げ出して水浴びをしたよね。
女の娘も水着ではなく、ブルーマーにコットンのシャツ・・・
乙女たちが水から上がるとシャツが貼りついて透けて見えた小さなふくらみにドキットした思春期のころでした。
・みんな『こずえ』という文集を憶えていますか。
アブラ蝉がジリジリ啼く頃、楢の木立に囲まれた大して本も無い図書室で懸命にガリ版に向かっていた友を思い出す。
・3年生の夏休みの大湯キャンプは楽しい思い出です。滝壺の温泉で汗を流し、夜のキャンプファイヤーを囲んでの怪談話のあの先生の声を思い出す。そしてとどめは肝試しでした。早朝からの栗駒登山に向かった。
・そして秋の行事は『なべっこ遠足』が楽しみでした。いものこ、きのこ、味噌、鍋、それぞれ分担して担いで行きました。
・文化祭も学校あげての大行事でした。演劇、舞踊、合唱、絵、書道の展示、そして肉うどんのバザー、小学校からも出し物があり多くの村人が集まった。
・11月末には収穫感謝祭をやりました。皆で春から手入れをした作物を料理し、小豆汁を体育館で食べました。
そして春の遅いまだ肌寒い4月私たちはこの学び舎から巣立ち44年も経ちました。
そして色んな人生経験をしながら還暦を迎え、今日ここに集まってくれたのです。
(誤ってデジカメのデータを消してしまい、スキャナーで写真を撮り込んだので画像が良くありませんがご容赦ください。)
この還暦の会の翌日、小安温泉の”とことん山”の物産店前で偶然にも高校同期(1年先輩)の根本さんにお会いしたのを思い出す・・・
確か、根本さんと写真を撮った記憶があるのだが・・・
-このアルバムの最期には次のように記されていた・・・
「還暦祝い」の幹事の皆さん、本当にご苦労さまでした。心から感謝申し上げます。ずいぶん前から準備の打ち合わせを重ねられたことでしょう。遠くは九州から駆けつけてくれた友もいました。中学卒業以来初めて会えた友もいました。これは私だけの思いではなく、皆さんそうおもわれたことでしょう。中学卒業以来の人生、それぞれに色んなことがあったでしょう。でも、こうして語り合えた喜びは、幹事のみなさんからの贈り物として感謝しております。
既に別の世界へ逝かれた友が五人いました。
・メトコ:首を振り振りおどけ顔で歩いていた。何度か家に泊りにきたよ。
・梅三:兄貴は大人しいのに、小さくても喧嘩が強かった。
・善作:大柄でデカイ目をしていたね。時々ンrギッパナが垂れてたね。
・百合子さん:くりっとしまった顔立ちで書道が上手かったね。
・キヨさん:大柄で速かった。何故かキヨさんに電話して亡くなられたと聞かされ駅の階段に座りこんでしまったのを覚えている。
この五人のことから中学時代の出来事が連想ゲームのように思い出される。五人も一緒に騒ぎたかったでしょう。今回色んな事情で参加できなかった人もいたが、35名も仲間と会えて良かった。達者で会いに来たみんなに改めて「乾杯!」と叫びたい。
当時作ったアルバムは、こんなふうに結ばれていた・・・それぞれの写真の下に印象に残ったことが書きこまれていた・・・
○ 須川湖の水面に写る残雪は 思い出繋ぐ踏み石の如くに