岩大での私の研究室
- 電子応用(藤田・照井研究室)
このころの私には、どの研究室を選択するかを深く検討するほどの知識はなかったと思うが、今考えると幸運にも自分の性格にあった研究室に入れたと思っている。それは当時としてはまだ珍しかったコンピュータ関連の研究室である・・・学内に電子計算機室の建屋が新築され富士通のコンピュータが導入されたことが話題になった時代である。この電子計算機は難解なアセンブラー言語でしか作動できず、人間の言語により近い高級言語は使えなかったのです。
こんな時代の私に与えられた研究テーマは、『Fortranのプレコンパイラー』に関する研究であった。当時フォートランで書かれたプログラムを東北大の大型計算機に送って処理してもらう流れであり、送ったプログラムにエラーがあると、そのまま送り返されてしまうのである。
従って、事前にフォートランのシンタックス(文法)エラーを見つけ出し、少なくとも文法ミスのない状態にする仕組みを作りだすのが目的であった・・・今考えると何ともと思えるテーマではあるが、真剣に取り組んだものです。これは難波さんとの共同研究でる。
その後、難波さんは『アルゴル言語』でOSまでが作られているという計算機を販売していた高千穂交易に入り世界を股にかけて活躍されたとう・・・
私の方は就職が内定していた”秩父セメント”の工場で夏季実習をおこなったが、そこには”IBM1800”というプロセス・コンピュータがあった。OSは『タイムシァリングシステム』といわれ工場のプロセス制御を実行しながら、フォートランでの開発業務もできたすぐれものであった。ただ、説明書は全て英語で書かれており、マニュアルを読み解くのに苦労したが、卒研にはずいぶんと役に立った。
そのコンピュータは畳4枚ほどの立方体が5本立ち並び壮観であったが、メモリーはまだ磁気コアの時代で、磁気のリングに細い線が3本づつ通されて編み込まれたもので、64Kバイト(32Kワード)の容量しかなかったのです・・・今、私が使っているノートブックPCのメモリー容量は9Gバイトですから、私が初めてコンプータに触ってから50年も経っていないのに大きな革新をとげたものだと思う。
私が『藤田・照井研究室』に入ったことで、こんなに大きな進化をとげたコンピュータと関わりのなかで仕事を続けられたことは幸運だったと今でも思っております。同じ研究室の仲間がどんな研究テーマであったのか、最早記憶にありませんが、もしかしてHPで紹介してくれたら懐かしい記憶が甦ってくるかもしれない・・・