小鹿野歌舞伎 観劇ツアー
昨年の春、5月31日に文学散歩で「秩父路の賢治の歌碑を訪ねて」を行い小鹿野町にやって来たが、今年も小鹿野町の「小鹿野歌舞伎と郷土芸能祭」にやってきた…昨年同様、小鹿野町の山本様にお世話になり熊谷短歌会の文学散歩を行うことができた。
200年の伝統ある小鹿野歌舞伎が、上演される「歌舞伎・郷土芸能祭」のプログラムである。
今年の7月27・28日にロシアで小鹿野町子供歌舞伎の公演が行われ、その後も内外からの問い合わせも多くなり、大いに関心を集めているようである…
この冊子の内容は、とても充実しており読みごたえのあるプログラムであった…
11月18日 熊谷駅南口 朝8時30分過ぎ、参加者の集合を待っている…
小型バス(27人乗り)を予約してあったが、秩父観光社の都合で大型バス(43人乗り)が手配され、ゆったりと旅ができた…感謝、感謝
横須賀から参加してくれた後輩の安保さんも到着したが、参加者の最後の一人と電話連絡しながら受付してくれた、Ⅿさんと Iさんです…
ありがとうございます。
トンネルの多い高速道路を通る予定でしたが、運転手さんにお願いして一般道を走ってもらい紅葉を見ることができた…
ただ、道中に見てもらおう準備した昨年の文学散歩(秩父路の賢治の歌碑を訪ねて)や賢治関連のDVDなど準備していたが、バスの装置が適合せず、DVDを上映できなかった…
小鹿野町の「歌舞伎・郷土芸能祭」なので自由に見て廻れるように昼食券を配り、朝会場に到着してすぐに集合写真を撮ることにした…
その時、機転の利く人が小鹿野歌舞伎の旗を拝借してくれたので、その旗をを持って写真を撮った…
会場の小鹿野文化センター入口には、歌舞伎のくまどりの提灯が飾られていて、そんな中、歌舞伎の黒子が出て来た…
中々、好い雰囲気ですね…
通常の道路ではなく長瀞の対岸を走り、紅葉を眺めながら、朝10時前には小鹿野町文化センターに溶着したが、まだ少し寒かった…
振る舞われた甘酒をいただき、身体を温めた…
屋台では「おがの歌舞伎弁当」と「名物わらじかつどん」が販売されていた…
小鹿野と言えば「わらじかつどん」が名物なので、お昼には観光交流館で「わらじかつどん定食」を頂くことになっている…楽しみだ…
秩父地域の地酒「秩父錦」の樽が積まれていた…
お祝いに熊谷の地酒「直実」を持参し、山本さまに手渡した…
あとで会場の写真を拡大して見たら、寄付御礼の中に「熊谷短歌会」の名前を確認できた…
会場のロビーに展示された写真のパネルには、横文字のタイトルが付けられていた…
今年2018年7月27・28日に行われたロシア公演で使われたパネルでしょうか…
参加者には、懐かしい友人と再会できた人もいた…
思い出多き旅になりそうですね…
< 太や神楽「岩戸開」 >
「奈倉神楽」の演目「岩戸開」の一場面である…
面や衣装、小道具まで全て村人の手作りだという…
昨年の文学散歩の「秩父路の賢治の歌碑を訪ねて」のガイドをしていただき、今年の文学散歩でも「小鹿野歌舞伎観劇ツアー」の企画のご支援をいただいた山本さんが「歌舞伎・郷土芸能祭」の座長として登場した…
その準備にお忙しい中、バスの駐車場を確保していただいたり、舞台から3列目の予約席を用意してくださったりとお世話になりました…ありがとうございます。
港区立南山小学校の「南山ジャズバンド」の演奏…
南山小学校のある麻布十番商店街の人が、30年まえに小鹿野歌舞伎の写真撮影に来たことがご縁で、小鹿野町との交流が続き、小鹿野子供歌舞伎など8回も麻布十番で公演してきたそうだ…
< 南山ジャズバンド >
私は、ジャズが好きでライブに足を運んでいるが、微笑ましくも中々の好いジャズを聴かせてもらった…
大したもんです…
11時40分に「南山ジャズ・バンド」の演奏が終り、12時40分までランチタイムとなった…
参加者の方々も小学生のジャズに心が和んだようで、好い笑顔すね…
さて、これから昼食の「観光交流館」に向かいます…皆さん笑顔で歩き始めていますね…
横須賀から参加してくれた安保さんも、昨年の文学散歩でも昼食を食べたところなので、何となくその方に向かっているようです…
大正5年9月4日 盛岡高等農林の宮沢賢治一行23名の生徒が、関豊太郎教授と神野幾馬助教授の引率で秩父地域の地質調査と研修旅行に小鹿野町を訪れ、宿泊した「寿旅館」です…平成20年に小鹿野町が買い取り、その中に「観光交流館」がある…昨年の文学散歩と同じ場所だった、今日は小鹿野名物「わらじかつミニ定食」をいただいた…
今回は、各自が自由に昼食を摂れるように「観光交流館ー昼食券」を配り、予め店主のご了解も得ていたが、幕間のランチタイムに団体でやって来たので、その食券は使われることはなかった…
でも、ここで帰りの時間を歌舞伎終演時間に合わせることを確認でき、好都合であった…
だが、そのことを運転手さんにお願いする必要があった…
これが名物の「わらじかつどん・ミニ定食」である…ただ、季節柄もり蕎麦ではなく、暖かいかけうどんをいただいた…
誰かが、かつが2枚なのは「草鞋一足分」なのかしらと言ったが、私はそう言われるまで気付かなかった…
このミニ定食でも多過ぎて、2枚目のかつを半分残してしまった…
食べきれなかった方も多く、パックをもらいお土産にできたのでよかった…噂では、丼をはみ出す程大きなかつが、2枚のってくるらしい…
昨年の文学散歩「秩父路の賢治の歌碑を訪ねて」では定員27名が満席でI参加をお断りすことになったので、観光交流館の店主のお許しを頂き、賢治一行が宿泊しという二階を見学させていただいた…
今回は小鹿野歌舞伎の観劇ツアーだったので、展示されていた「くまどり」パネルの前で写真を撮った…
午後の開演を前に小鹿野町長長の口上が始まった…堂々と歌舞伎役者のような口上には、恐れ入りました…
流石に、200年もの伝統を誇る歌舞伎の町・小鹿野町の町長ですから、きっと歌舞伎を演じたことがあるのでしょうね… そういえば、かつらは着けてなかったが、はぶたいを被り化粧し、和服姿を着て私の直ぐ前の席で舞台を見上げていた人だった…
小鹿野中学校二年生による「白波五人男稲瀬川勢揃之場」の上演に先駆けて、女子学生三人による口上があった…
その口上の内容は、自分たちで考えたというが、支援者への謝辞もしっかり盛り込みながらウィットに富んだ微笑ましい口上に対し、会場から大きな拍手が送られた…
< 白波五人男稲瀬川勢揃之場 >
小鹿野中学校二年生による歌舞伎である…
それぞれが中々の演技で、各自が見得を切る場面をお見せしたいくらいだ…
実は、その昔大学祭の後夜祭で実行委員会のメンバーが、白波五人男の口上を真似て、それぞれの役割分担を紹介したことがあった…旅館から借り受けた丹前を着こみ、破れかけた唐傘をもって「さて、どん尻に控えしは大学祭の会計で…」と啖呵を切ったが、見得を切るまでは出来なかったことを苦々しく思い出した…
演目が終ると黒子を含め、全員が勢揃いし小鹿野中学校の校長が挨拶に立った… そして小鹿野町 子供歌舞伎がロシア公演を行ったことなど、誇らしげに話された…
幕間に山本さんが登場し、通常場は縦縞の引幕と緞帳の向こうで、次の演目の舞台装置の準備が行われるが、今回はお客様に舞台装置の準備の様子をお見せしますと言って幕を開けた…
そして舞台装置を色々と解説してくれた…
全く貴重な初めての体験だ…
小鹿野歌舞伎で使われる衣装やかつら、大道具、小道具まで全て自前ですよと付け加えた…
黒子の方も、みんな役者さんでもあり、歌舞伎保存会の会長さんでさえ、時には黒子となり、みんなで歌舞伎を仕上げて行きますと語った…
絵本太閤記十段目尼ケ崎閑居之場
これは明智光秀が謀反を起こして本能寺で織田信長を打ち果たしたが、西国へ出兵していた羽柴秀吉が引き返して光秀を滅ぼすまでの物語を13段に脚色された歌舞伎の10段目ですと、山本さんが解説してくれた…
この場面は、光秀の息子・十次郎が戦場から深手を負って帰り、婚約者・初菊と対面する場面である…
秀吉の前で加藤清正と刃を交える光秀との立ち回りの一場面である…
中々の盛り上がりようであった…
終演後の出演者全員でのご挨拶…
観客席から大きな拍手が送られた…
今朝ほど、運転手さんに確認され帰りの時間を16時半頃と伝えてあったので、歌舞伎の終演時間16時55分以降への変更を伝えねばならない…
幕間にお祭り広場に出て歩いて行くと美味しそうな焼き鳥の匂いに負けて、これは辛味噌で食べるカシラかと尋ねるとイノシシだという…
今朝捕ったイノシシだと言って食べさせてくれたので、食べながら缶ビールを呑んだ…美味しかった…
運転手さんに出発時間の変更を伝えて了承してもらえたし、缶ビールの件は勘弁してもらえるだろう…
小鹿野囃子保存会の「小鹿野囃子」を聴いた…小鹿野囃子は、大太鼓、小太鼓、笛、鉦 と秩父囃子と同じ構成だそうだ…
私も、現役の頃に7年間秩父市に住んだことがあり、秩父夜祭りの秩父屋台囃子を聞いてきたので、その頃を懐かしく思い出しながら、小鹿野囃子に聴き入った…
また山本さんが登場し、「一谷嫩軍記あばら家之場」の解説をしてくださった…歌舞伎とは縁遠い我々にとって、とても助かった…
この芝居は平成19年に景山正隆先生(義太夫協会名誉会長)が何度も小鹿野へ足を運ばれ、振付までご指導いただき公演にこぎつけた演目だという…
コミカルな話も挿入されているが、物語の主人公・平忠度は平清盛の異母兄弟で、藤原俊成に師事した歌人でもあると解説してくれた…
まさに熊谷短歌会のための演目であった…
< 一谷嫩軍記あばら家之場 >
大歌舞伎では、数人の三味線と義太夫で演じられるが、地歌舞伎では一人で三味線を弾きながら義太夫が吟じられる…
義太夫が物語のナレーションとして歌舞伎が進行し、演者の心の動きまで語ってくれるので、演者はそれに合わせて演じることもある…
私たちには、この義太夫の語りが歌舞伎の理解を助けてくれるのです…
私はうっとりと聞き入った…
摂津の国莵原の里に住む老婆・林は、もと藤原俊成卿に仕え、菊の前の乳母でした…
この場面は、勘当されていた太五兵衛は実家に泥棒に入ったが、言い訳に戦場で拾い首でもして褒美をもらうために父親の刀を借りに来たという…そこへ旗持を探してやってきた茂次兵衛に勧められ、鎧に着替え足軽になる場面…
とてもコミカルに演じられ、会場の笑いを誘った…
武将・歌人の主人公は忠度に、合戦中にもかかわらず義経の命を受けた岡部六弥太が
さざなみや志賀の都は荒れにしを
昔ながらの山桜かな
としたためられた短冊を桜の枝に結び「千載集」に選ばれたことを知らせにくるという物語なのです…
ただし、師弟関係にある撰者・俊成は朝敵となった忠度の名を憚り「故郷の花」という題で詠まれた歌を一首のみ詠み人知らずとして掲載している…
岡部六弥太は、使いで来たので戦場で決戦を再開しようと言った…
そして名残を惜しむ菊の前を見て忠度は、錦の片袖を林に渡し、菊の前のために歌を残した…
是れもその人の形見と思えども
猶なつかしき袖の移り香
忠度の歌は、『千載和歌集』以降の勅撰和歌集に11首が入集されいる。なお、『新勅撰和歌集』以後は晴れて薩摩守忠度として掲載されている。
今の明石市天文町付近で、忠度と岡部が戦ったことにちなみ、「両馬川」と呼ばれているという…
その時、箙(えびら)に結びつけられたふみを解いてみると、「旅宿の花」という題で一首の歌が詠まれていた。
行くれて木の下かげをやどとせば
花やこよひのあるじならまし
山本さんは、岡部市にもご縁のあると話されたが、両馬川合戦の後、岡部忠澄は平忠度の菩提を弔うため、埼玉県深谷市の清心寺に供養塔を建立している。
終演後の出演者のご挨拶です。
幸運にも平安時代の武人・歌人である平忠度の歌舞伎に熊谷短歌会の皆さんも多いに感動されたことと思うが、いかがだったでしょうかね…
でも、偶然ではあるが、企画した私として嬉しいことだ…
舞台が終り、お客さんを見送るためにロビー現れた「菊の前」を引き留め、金子会長は桜の枝に結ばれた短冊の歌を書き写していた…
流石に勉強熱心です…我々も見習わなければなりませんね…
帰りのバスに乗り込んだときには、もう辺りは暗くなり、既に17時を廻っていた…
でも、バスの中の皆さんは、満たされたお顔だったので安堵した…
終演時間が不確定な中、柔軟に対応してくださった秩父観光の運転手さんに、感謝、感謝…
帰りは高速道路を通ったが、高速を降りると道路は混んでおり、運転手さんは混雑を避け途中から旧道を走った…安全運転していただき、ありがとうございました。
随分と日暮れが早くなり、とっぷりと陽の落ちた秩父路を走り、18時半ころに熊谷駅南口に到着した…
ともかく、第7回熊谷短歌文学散歩「小鹿野歌舞伎観劇ツアー」も無事に終わりほっとした…
だが、文学散歩の詠草を二首創らねばという重荷も感じていた…
横須賀から参加してくれた後輩の安保さんを誘い、駅ビルの居酒屋で一杯やった…色んな話をしている内にあっという間に時間が過ぎた…
山本様、今回も大変お世話になりました。小鹿野町の皆さま、ありがとうございました。
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