前夜の宴会の興奮も醒めやらねままに、朝4時頃に目が覚めてしまった。昨夜も伊藤さん、桜井さんと枕越しに深夜まで話し込み、私は御先に眠り込んでしまったらしい・・・『李ショウバン・ライン』がどうのという話題の結末を覚えていない。
誰もいないロビーに座り込んでいたら、風呂上がりの人が歩いてきた。どうも、一階にもお風呂が有るらしいと思い、その方向にあるいて行くと”日帰り入浴”もできるような温泉が沸いていた。ふらりと部屋を出たのでタオルなど持っていなかったが、洗面台にタオルがおかれていたので、それを借りて温泉に浸かった・・・誰も居ない浴槽で、『工藤さんの持ってきた”ぢょぱり”は旨かったなあ・・・』などと思いながら、のんびり温泉を楽しんだ。来年の秋田での同期会は何処になるのかなあ・・・寅さんが何んとかしてくれるだろうと思いつつ浴槽で足を伸ばした。
函館のホテルの朝食はバイキング方式であったが、和食系の殆どにイカが使われていたのには、イカどころ函館かと恐れ入りました。朝食を食べていると小倉さんが各テーブルに『8時半にホテルの前で集合写真を撮る』と伝えて廻ってくれた・・・所用で朝から家に向かわねばならぬ仲間がいるのだ。
集合写真を撮り終えて、寅さんとサヨナラの握手をしていたら、工藤さんが『寅さん、背広どうしたんだ!』と声を掛けてきた。『おれは背広着てこないよ。』と言ったが、部屋に戻るエレベータの中で橋本さんに昨日撮った写真を検索してもらった・・・そこには上着を着た寅さんの姿が写っていた。部屋に戻って背広を手にした寅さんは、何度も礼を言いながら帰って行った・・・実は、私も昨年のつなぎ温泉での同期会で忘れ物をして、ホテルから着払いの宅配便を受け取っていたのだ。
写真を撮り終え部屋で身支度を整えうとうしながら定期観光バスの時間を待った。バスは10時溌だが9時45分にロビー集合と小倉さんが各部屋を廻ってくれた・・・ロビーで飛世さんから『イカコロッケが旨い!』言われ買って食べた。出発間近なのに、むせっぽかったのでお茶を買いに戻ったら、しっかりと渡辺さんが待っていてくれて、10時発の定期観光バスに乗ることができた。
このバスで20人程の石巻農協のご婦人の団体と乗り合わせた・・・今日一日のお付き合いとなるのだ。こちらは男性16名はいるから合コンを申し入れるように幹事に提案したが、取り上げてもえられなかった。熟年以上の女性軍団パワーに恐れをなしたのかも知れませんが・・・このバスのガイドさんも朗らかな人柄で、ドライバーさんとオシドリでの随行であった。
函館駅で一般観光客を乗せ函館区公会堂へと向かった。途中で弥生小学校の横を通り、『啄木が代用教員をしていた小学校です。』と紹介されたが、その時期に勤めていた橘智恵子さんは、啄木とは全く関係ない人で『知恵子抄』の知恵子であると解説してくれたのである・・・『智恵子抄』の知恵子は福島県出身の長沼知恵子と言う人で、高村幸太郎が婦人として迎えているはずだと反論しようと思ったが、踏み留まった。バスツアーが始まったばっかりなのに、ここでバスガイドさんに恥をかかせてしまったら、今日一日このガイドさんの信用は失われ、ガイドさんの話に耳を傾ける乗客が居なくなるだろうと思ったからである・・・でも、定期観光バスに乗ったお客さんが、間違った学説を聞かされ続けるのかと思うと、タイミングを見つけてガイドさんに話をしなければとチャンスを待った。
この公会堂は明治43年に総工費5万8千円で建築されたという。明治40年の5月に函館にやってきた啄木の代用教員の給与は12円だったというから、当時としては大金である。啄木は明治41年1月から4月までの釧路での生活を最後に北海道を離れているので、この公会堂を観ることはなかった。しかし、啄木が函館を離れることになった明治40年8月の大火で焼失した町会所を再建するためのプロジェクトが、この公会堂の建設を推進したというから、全く無縁ではないのである。
2階の大広間に入ると、バルコニーの方から5,6人の明治時代の貴婦人が現れた・・・近寄って写真を撮らせて欲しいと頼んだら、快く承諾してくれた。近くにいた橋本さんと一緒にシャッターを切り、写真を送るからメールアドレスを教えて欲しいと言ったが、それは断られてしまった・・・飛世さんがその場にいたら、難なく教えてもらえたかもしれないと、とっさに思いついたが後の祭りであった。
函館山のロープウェイの中で、偶然にも蛯沢さんに会った・・・昨夜の宴会ではご一緒だったのであるが、朝から奥様との函館観光と言うことで別れたばかりであった。我々に先に気付いた蛯沢さんは、奥様とは反対側の窓に立っていたので、どなたが蛯沢さんの奥様か判らず、飛世さんと私が呼びかけてみたが、名乗りでて下さる訳はなかった・・・
それでもロープウェイを降りてから展望台への通路では、逃げ場がないので蛯沢さんを追跡していたら、彼に寄り添うご婦人を見つけたので、近づいて話しかけた。彼とは岩大入学当初からの友人で、その一人である寅さんは今朝帰ったこと。そして、『今回は奥様を慰労するための旅行だと言っていたから、うんと甘えてくださいね。』と話したら小さく頷いて微笑んでくれた・・・橋本さんが、お二人をカメラに収めようとしたが、蛯沢さんに『勘弁してくれよ!』と言われ断念したようである。
実は、帰りのロープウェイでもう一つの偶然があった・・・下りの乗車を待っていたら、昨夜の宴会で『まだ来ていない』と誤認された笹川さんが、『やあ!』と私のかたを掴んできた。今朝から一人旅をしていたはずの笹川さんと出くわしたのだ・・・思わず、『笹川さんは今着いたの・・・宴会は終わってしまったよ!』とジョークで返した。
前日の宴会の後、桜井さんの案内でタクシー2台に分乗して函館山に登った。幸運にも雲もなく、肉眼では綺麗に見えた函館の夜景であったが、写真は難しい・・・手摺でカメラを固定してシャッターを切ったが・・・
五稜郭で土方歳三の坐像と写したが、天気が良すぎてシュリエット状態である。展望台からの見学を終えて、ガイドさんが紹介してくれたラーメン屋にいったら30分待ちであった。女鹿さんと近くのラーメン屋さんを探し当て道産子ラーメンを食べた・・・ビールを飲み、おしゃべりをしながら食べていたら、あっと言う間に集合時間が来てしまった。集合場所へ行くと飛世さんがやって来て、女鹿さんにパッドを使った『フルフル』コミュニケーションを伝授してくれた。楽しい時間は速く過ぎるもので、ここで女鹿さんとお別れすることになった。
今日のバスツアーも終盤に入り、男子禁制の修道院にやってきた。更に30歳未満の女性でないと、俗世の未練を捨てきれないから尼僧にはなれないのだと説明してくれた。私などすでに古稀を過ぎ、俗世にまみれた心身を清める術などあろうはずがないと思った。ここでしか手に入らないという尼僧が手造りしたお菓子とメールで注文された”白い恋人”をお土産に家と娘に買った・・・
いよいよ最終コースに組み込まれた、牛乳かヨーグルトをサービスしてくれるという”函館牛乳”にやってきた。私は、ヨーグルトを食べたが甘味があって美味しかった・・・山下さんがアイスクリームも旨いというので、私も試してみたが、こちらも美味であった。この牧場は空港近くで、航空機の発着で騒音のストレスもあるだろうになどと思いながら、乳製品の質の高さに感動した。
そして牧草地を見たら『紅苜蓿』を思い出した・・・紅苜蓿は紅クローバーのことで、開拓初期にアメリカから来た野の花だそうだ。ここで最期だと思い、意を決してガイドさんに『お話がありますが』と言って近寄った。そして、『橘智恵子さんは啄木が恋した人で、知恵子の歌を20首程詠んでいますよ・・・後で調べてみてください。』と伝えた。するとガイドさんは、素直に今晩勉強してみると言ってくれたのでほっとした・・・
こうして、思い残すことなく旅を終え、東京組は空港近くのバス停で下してもらった。秋場さん、篠原さんは連泊するので桜井さんとJR函館駅へと向かったが、その先の行動パターンは予想がつく・・・
その後、19時30分の羽田行きを待つ間の空港ビアガーデンでの宴会の話は、後日談とさせていただこう・・・でも、お土産を出し合っての宴会も中々の盛り上がりであった。注文したはずの焼き鳥が届かず、皆でガヤガヤやっている所に駅前で秋場さん、篠原さんと飲んでいた桜井さんから電話が入り、山下さんだけでなく皆が桜井さんにお礼とお別れが言って、宴会もフィナーレを迎えた。
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飛世政和 (土曜日, 27 9月 2014 13:31)
桜井さん 初め皆様のおかげで 楽しい 時を過ごすことができ
感謝してます、ことしも小南さんの エッセイ待ちにまってましたw 小倉さんと 小南さんの旅行記が出ないんでなんか まとめなくちゃ と 話してたとこです。これを基にA4 3枚くらいにして、メール アドレスないかた送ろうかな?ところで小南さん 藤島さんの所へ このプログ見ていただけるよう お力添えお願いできませんか?
渡部 雅幸 (土曜日, 27 9月 2014 17:18)
(土曜日、27/09/2014 17:30)
小南さん 旅のハプニング、啄木のエピソードに ニコニコ、ニヤニヤしながら楽しく拝読しました。
羽田の件、規格はずれのゴールドの所有と本人は弁解していました。ホントなの
つでに
定期観光での同乗女性団体についての情報
1)篠原さんのブログ 22名の石巻女性団体
2)小倉さんの情報 20数名の長野農協グループ
3)小南さんのブログ 10数名の石巻農協のご婦人
総合判断
○22名の石巻農協のご婦人団体さん。 いかがでしょう。