倉木麻衣15周年記念の全国ライブツアーがスタートし、久喜総合文化会館での開催に出かけた。カーナビに目的地をセットして14時頃に出発した。久喜は大宮から東北線に入るので、行く機会もなかったし車で出かけるのは初めてである・・・息子の運転でカーナビ通りで良かったものをサイドドライバーが指示を間違えて、途中で地元の人に道を尋ねる羽目にになった・・埼玉県も結構広いのです。それでも、なんとか16時前には会場に辿り着くことができた。
息子がグッズを探している間、会館の広場を見回していると見覚えのある車椅子の青年を見かけた。会場へのバリアフリーのスロープを係りのガイドで登って来たのだ・・・7,8年前に車椅子を押して息子と麻衣ちゃんのライブに行っている頃に知り合った青年に間違いないと思った。彼は茨城に住んでいて、いつでも、どこの会場でも車椅子を漕いで、たった独りでやってきていた。彼はIT関連の会社に勤めているとかで、名刺にはHPアドレスが刷り込まれていた・・・
その彼に近づき、確かめてみると私を覚えていて、車椅子を離れた息子を見てびっくりしていた。5年前に息子が車椅子を使わなくなってからは、息子は友達や妹と麻衣ちゃんのライブに出かけていたのだ・・・後で息子に聞いてみると、『いつも彼を見かけていたが、車椅子ではないことに気が引けて、彼に声を掛けるのを躊躇っていた。』と漏らしていた。でも、そのことで彼に心配をかけていたのだ・・・
この会場が久喜市役所の前にあったが、住宅地域なのであまり食事できることが無く、食事処を見つけても17時半からの営業なので18時前に夕食を取れる場所を探して近所を歩き廻った・・・10分程歩いて元の道に戻った所に酒屋さんがあったので、まずはカンビールを1本買った。すぐ隣にピザハウスがあった。そこから息子に電話をかけた。『食堂は17時半から営業だから、ピザを買って帰ろうか?』と聞いたら、彼と一緒だったらしく、『ピザを一緒に食べよう。』と誘っている様子だった。マルゲリータ1枚、から揚げ、ポテトを会館広場への”出前”してくれるよう頼んでから会館前の広場に戻った。すると、彼がポツリ、ポツリと話しだした。息子をライブで見かけなくなってから、どうしたのかと心配していたというのだ。ライブで会う女の子と息子のことを心配していたそうで、『息子は遠くへ逝ってしまったのかと、つい最悪なことを考えてしまった。』と語ってくれた。
しばらくするとピザーラのバイクがきたので、テーブル付きベンチを確保して3人で食べた・・・息子が懸命に彼の食事の世話をしているのを見て、何故か切ない思いが込み上げてきた・・・車椅子の時には息子もこういうお世話をして頂いてきたのだと・・・
広場のベンチに腰掛けピザで夕食を済ませると、彼はシャツを脱ごうとしていた。息子の手助けでシャツを脱ぐと、なんと彼は倉木麻衣のライブTシャツを着こんでいたのだ・・・袋から麻衣ちゃんタオルを取り出し首に巻き、フラグ付きのペンライトを握りしめ、ライブ会場へと向かった。息子がグッズを買う手助けをしようかと持ちかけたら、彼は既に三郷の会場でのライブに出かけて買い求め、今日はそれを身につけて久喜のライブにやってきたのである。
『マイケー、マイケー・・・』の呼び声が高まり、いよいよライブが始まると全員が総立ちになった。私だけが座っているのを見て、息子が私も立ち上がるようにと目で合図した。立ち上がってみると前列の私と同年代のペアが、リズムに合わせて拳を振り振りのノリノリの状態なのである・・・私はせいぜい手拍子くらいしかできなかったが、バラードの歌詞がジーンときたので、思わす『いい歌だな~』と呟いたら息子が『話をしないように!』と目で制したが、後で教えてくれた。それは”あなたがいるから”という歌で3.11の東北大震災のときに、ネット上だけでリリースされた災害支援のためのソングであった。ダウンロードの収益は全て災害支援に寄付されたという・・・CDは発売されていないので、私には初めて聴いた歌詞だったのだ。
最近の彼女はカンボジアに”寺子屋(小学校)”を建てる活動を推進していて、”Stand by You"というテーマ曲を歌っている。スケジュールを調整しカスタネットを沢山持って、現地に出向き子供達に音楽の指導もして来たと語っていた・・・倉木麻衣のフアンには、こんな彼女の活動に魅せられた人もいるのであろう・・・
カーテンコールに応えた麻衣ちゃんもずいぶん長い時間、フアンとの別れを惜しんでくれた。その興奮も醒めぬまま帰路についた・・・カーナビに自宅をセットし、帰りも息子の運転である・・・暗くて周りも良く見えないから『絶対にカーナビの指示に従って行こう。』と約束させられて、私は運転席の隣に座った・・・
比較的順調に走り出してから、息子は彼のことを話し始めた。彼は、会社都合で退職し、今は”介護福祉士”の資格を取るための通信教育を受講していて、時々新宿までスクーリングを受けに通っているそうだ・・・『自分は介護を受けているので、その立場にたって障害者の相談相手になりたい。』と語ったそうである。息子は、車椅子でたった独りで活動する前向きな彼の生き方に多いに刺激された様子であった・・・
そして今、息子は『 IT関係の資格をとるのだ。』と宣言して勉強を始めている。
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