午後3時過ぎに電話が鳴った・・・以前申し込んで置いた”お香を聞く会”が始まっているという知らせだった。申し込んだときは、『高校生以下の子共同伴でないと参加できない。』と断れていたはずだったのに・・・
それでも、折角だから参加しようと急いで身支度をして案内図をみると、自宅から荒川大橋をわたり、土手沿いに川上に2キロ程走ったところにある”JAくまがやふれあいセンター江南”の近くであった。
このJAの直売所には、何度となくきているが、竹林に囲まれた茅葺屋根の古民家には気付かなかった・・・直売所の駐車場に車を置き、畦道を拡幅したほどの道を歩いて行くと、奥まった所に茅葺屋根が見えてきた。その右手には2軒の大きな住宅があり、重要文化財の指定を受けた古民家は使われていない様子であった。古民家の横手の納屋の軒先で受付をすませ、”お香を聞く会”の会場に入った。(親子香道教室)
会場は薄暗く、眼が慣れるまで暫くは様子が分からなかった。入って直ぐの所に訪問着を着こんだ女性が3名居て、筆で何やら書いていた・・・10畳2間の周りに赤い毛氈が敷かれており、30名ほどの参加者が、聞いたお香の名前を書いている様子である・・・これも後で解った話であるが、”貝合香”と言って、試香の後の4回の本香を聞きわけて、貝の名前で答えと感想を記入しておき、答え合わせを行うものでした。
席に座ると、『これが最後のお香です。』と茶碗蒸しの器ほどの香炉を手渡してくれた。それを左手に持ち、右手で蓋をして香りを溜めてから、親指と人差し指の間を少し開けて香りをかぐようにと、作法を教わった。家内に続いて、真似てやってみたが、高校時代に蓄膿の手術を受けた私には、そのかぐわしい香りを聞くことはできなかった・・・
貝合香の答え合わせを終えて、小学背の男の子に筆書きの大きな色紙が授与されて”親子香道教室"は終わった・・・その後、座敷中央に展示されたた”貝合わせ”を見学した。大きな蛤の内側に書かれた一対の絵を合わせる遊びであるが、何しろ350種類あるそうだから、ゆるゆると愉しむのであろう・・・
雅楽の開演は18時からだったので、引換券で弁当をいただき、縁側にこしかけながら夕食を摂った。その頃には、次第に夕暮が迫ってきて畦道沿いに並べられた灯篭に火が灯され、中々風情のある景色に変わっていった。この雅楽の夕べには、参加資格の制限もなく三々五々集まって来た人々は7,80人にもなり、土間に並べられた椅子は満席となった。
なるべく迷惑を掛けぬようフラッシュを焚かず、感度3200のAUTOで撮影したが、殆どが手振れと露光時間の関係で、画面は流れてしまっていた・・・
これまで結婚式やお宮で雅楽を聞いたことはあるが、雅楽の演奏を観るのは初めてである。解説によると、古代アジア大陸から伝来した楽器と楽舞が日本化したもので、平安時代に日本独特のもとして大成した、最も古いオーケストラだそうである。
雅楽では時間は周期的に繰り返すとされ、太鼓はそのリズムを刻む指揮者であるという。そして笙は”鳳笙”とも呼ばれ、鳳凰の住む「天」からの声、篳篥は人の住む「地」の声、龍笛(横笛)は天と地を自由に行き交う「龍」の声だという・・・これらが合奏されて小宇宙を表現しているのだと説明してくれた。
更に弦楽器には琵琶と琴があるが、今回は琴が加わり小規模ながらオーケストラが形成された演奏である。
茅葺屋根の天井は、囲炉裏の煙でいぶされ、茶褐色の光を反射し、薄明りのなかで聴く雅楽は、古を偲ばせてくれる・・・どこかで聞き覚えのある”越天楽”は、心地よく眠気を促す調である。この曲は、民謡”黒田節”の原曲とも言われているそうだ。
更に、平安時代に生まれた雅楽にまつわる言葉が、今でも使われていると紹介されたので興味が湧きネットで調べてみた・・・塩梅(あんばい)、八多羅(やたら)、八多羅滅多羅(やたらめったら)、滅多(めった)、打ち合わせ(うちあわせ)、野暮(やぼ)、様になる(さま-)/左舞なる(さまい-)、上手い(うまい)、二の舞を舞う(にのまいをまう)、呂律(ろれつ)、二の句を継げない(にのくをつげない)、唱歌(しょうが)・・・どう雅楽とかかわっているのかはネットでご覧ください。
天地の 神にぞいのる朝なぎの
海の如くに 波たたぬ世を
これは昭和天皇御製の歌で、昭和15年11月10日に世界平和への祈りをこめて全国の神社で一斉に奉奏されたと書かれてあった。この曲に合わせて神楽「浦安の舞」が披露された。
浦安とは、心安らかに平和を祈る舞であり、古く日本を風土が美しく平和な国土として浦安の国と呼ばれていたというが、この「浦安の舞」も虚しく、第2次世界大戦への道を突き進んでいったのかと思うと悲しい歴史の流れに感慨深いもの感じていた。
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