最近同期会に参加するチャンスの少なかった金井さんを誘って東京支部大会に参加した。44年卒の同期は40名中9名の参加で、全体の25%を占めている・・・一重に飛世さんの求心力と、まとまりのある仲間だと誇りに思っている。総会でも議長、書紀2名とも我らが同期である。総会の議事は順調に進み、総会後、岡英夫名誉教授の講演会が開催された。『岩手から発信してきたマグネティックス研究 40年のあゆみ』は、大変興味深い内容で、取分け”磁性木材”の実用化研究には関心が集まった。
実は、前日にスカイプを使って飛世さんと相談し、この会場でジャズバンド『けもの 青羊(あめ)』を応援しようと、ユーチューブで放映する準備をしてもらっていた・・・
青羊(あめ)は鈴木守さんの娘さんでシンガーなのです。飛世さんの後ろのディスプレイで賢治の『星めぐりの歌』を歌う青羊(あめ)を映し出し、応援を呼びかけよう計画したが、残念ながら参加者全員にアピールする時間は確保できなかった・・・
飛世さんありがとうございました。
2次会には久保田先生をお誘いし、同期は全員参加で行われた。金井さんは、久保田先生と同じ研究室だったそうで懐かしそうに話し込んでいた。この2次会でも小倉幹事さんの大活躍であったが、ちょとした失敗もあったようです・・・大いに盛り上がったところで、私からジャズバンド『けもの 青羊(あめ)』を応援しようと提案した。皆も大いに賛同し、応援団結成に賛成してくれた・・・まだ、どんなふうに応援して行くかの具体的な計画は固まっておりませんが、まずは心の中で声援を送って行きたいと思います。同期会のHPにもURLを掲載していただいておりますのが、アクセスしてみてください・・・リンク先は同じですが。
2次会も終わり、帰りがけにハプニングが起きた・・・この件は、掲載することを躊躇ったが、このようなアクシデントは自分にも起こり得ることだと思い直して記録しておくことにした・・・後ろの方で『ああ!』という声がして、私は靴ひもを結びながら振り返った時には、彼が真っ青な顔で倒れていた。お座敷から降りて靴を履こうとしたところで1尺ほどの段差の階段で足を滑らせてバランスを崩し、床に後頭部を強打してしまったようだが、私は見ていなかった。直ぐに駆け寄り手を握りながら声を掛けたが返事はなく、気を失っていた・・・お店の人に救急車の手配を頼んで、彼の手を握り『大丈夫・大丈夫・・』と声を掛け続けた。しばらくして彼はうつろな目を開けて気が付いた・・・起き上がろうとするので、それを止めていたら、誰かがシャツのボタンを外したり、ベルトを緩めたりしてくれた・・・救急車が到着し上を見上げたら、救急処置の主は武田さんであった。武田さんは”救命救急処置の研修”を受けていたという。実に落ち着いた処置、本当に助かりました。
救急車には2名しか同乗できないというので、渡部さんと私が付き添うことにした。ところが、あれこれ問診したことを救急外来に電話して、受け入れ可能を確認するのに時間が掛かった・・・繰り返し同じことを電話で説明して病院を探していた。
こんなにネットワーク・インフラが整備されている時代に昔ながらの手順にはイライラさせられた・・・タブレット端末の問診票にチェックをいれ、マイク機能で状況を入力したデータを救急外来に送信しておけば、同じ内容を説明せずに短時間で確認がとれるのにと思った・・・
やっと某女子医大付属病院に搬送されたが、そこでも看護師から同じような問診を受けた・・・所定の検査が終わり担当医がやって来て、また同じような問診を受け、情報共有はどうなっているのかと疑問に思った・・・救急車で入力した情報を共有すれば、もっと効率的で正確に情報伝達ができるであろうと・・・更にシステム化を進めて、救急車のカバーエリアの救急外来の”受け入れ可能情報”を予め把握できたら、人命救助が迅速に効率的にできるのではと思った。ただ、それには個人情報の保護とか種々の問題が絡むであろうから、法的な整備も必要かも知れないが、政治資金の使途をほじくり返すよりも大事なことだと私は思う。
22時近くになって、”自宅に帰れる”との診断がでたので私は一足先に帰った。東京駅から最終の新幹線に乗り、渡部さんと『眠って乗り過ごさないように・・・』などとショートメールをやり取りしながら、眠気を覚ました・・・
私が彼を2次会に誘わなければ、皆に心配をかけることもなかったし、彼をこんなアクシデントに合わせることもなかったのに、などと反省しながら・・・
でも、翌日彼に電話して、元気な声を聞いて胸を撫で下ろし、仲間にメールで報告した。渡部さん、ありがとうございました。
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