『 第2回 賢治と歩む会 』読後感想会

『なめとこ山の熊』 を読む

  <埼大 萩原名誉教授>
  <埼大 萩原名誉教授>

 家内と息子は、嫁いだ娘を誘ってランチに出かけた。私はインスタントラーメンを食べながら、今日の『賢治を読む会』に出掛けたものかどうか、まだ迷っていた・・・熊谷市短歌会の会長は、予ねてから『賢治の会』へ誘ってくれていたが、昨年の5月頃だったと思うが『賢治の会は解散になってしまったよ。』と聞かされていた。そんな経緯もあったし、結局『賢治を読む会』に参加してみることにして、1時半過ぎに自転車に乗って家を出た。 

 会場の”市民活動支援センター”は、熊谷駅の南口近くにあることはネットで確認しておいたが、中々見つからなかった。会場に入ると既に10名ほど集まっていた。今回は第2回目であったが、新入会員 3名のために自己紹介から会が始まった。同会の顧問の萩原名誉教授は、40年も間宮沢賢治を研究してこられ、『熊谷賢治の会』にも深く関わってこられた が、19年間で閉会となってしまったことを残念に思っていたと語った・・・

 それから『なめとこ山の熊』の難解な方言や現地を調査したことを丁寧に解説してくれた。なめとこ山のまわりのなめこや海坊主のような山は、岩手山が噴火した時に溶岩が隆起してできた”岩鐘”であろう・・・そして『なめ とこ山』の谷合は毎年雪解け水で綺麗に押し流され、つるつる滑るようになることから、そう呼ばれたのではないかと語った。

 私の田舎には”とこなめ”と言う言 葉がある・・・矢張り春の雪解け水で川底は洗われ、水が温んで来る頃には丸みを帯びた石に”カンナ(川菜)”と言われる水苔が着き、とても滑るようにな る。瀬の強い所では、小十郎のように、”びょうぶのような白い波をたて”、足を取られそうになる。このカンナは清流でしか育たず、夏になると溯上してきた鮎が カンナを舐めた跡が沢山見られるようになるのだ。今では上流にダムができ、カンナも鮎の姿も見ることはできなくなってしまった・・・

  それから、印刷にはないが東北地方の方言は音読すると濁った”濁音”になることが多いと先生が教えてくれた。秋田生まれの私は、無意識にごく自然に濁音で 読んでいたことに気付かされた。更に賢治は、方言から醸し出される独特のニュアンスを巧みに織り込んでいるように私は感じている。なめとこ山の熊でも、 『主人はだまってしばらくけむりをはいてから顔の少しでにかにかわらうのをそっとかくしていったもんだ。』こんなくだりがある。

ここの”にかにか”は、ニコニコでもないし、ニタニタとも違うし・・・どうしてもお金が欲しい小十郎の弱みに付け込んで、恩を売るようにして安く買い上げることのできた喜びが自然とこみ上げてきて、思わず頬の筋肉が緩んでしまうような”ほくそ笑み”を表現しているのだと私は感じている。

  そして『小十郎はそれをおしいただくようにしてにかにかしながら受け取った。』とあるが、小十郎は安く買いたたかれてしまったが、ともかくお金が手に入っ たことで安堵し、ほっとした笑いだと思う。決してニコニコの笑顔を現してはいない、実に哀しい笑みに思えて仕方がないのである。

  会の終盤で、先生が『小十郎の社会における地位・立ち位置を理解しないと、賢治が言いたかったことを深く理解できないのではないか・・・』と投げかけてく れた。この物語に”きつねけん”というのがでてきて、熊は小十郎にやられ、小十郎は旦那にやられるが、旦那は山に行かないから熊に食われることはない。賢 治は、この因果応報が循環しないことの矛盾を訴え、『こんなずるいやつらは世の中が進歩するとひとりで消えてなくなってゆく。』と言い放しているのだ。

  私は以前、井上ひさしの『イーハトーボの劇列車』を観たことがある。その中で賢治が赤狩りの刑事に付け回される場面があった。実際に賢治は社会主義活動 を支援して、花巻警察署に拘留されたことがあるが、花巻で町会議員を務める程の実力者であった父親に救い出されたという。賢治は、自分自身の想いとは相矛 盾する環境の中に生きながら、多くの童話を書き続けたのであろうか・・・

 次会は4月11日(土)に同時刻・同会場で開催される。

また、参加してみようかなあと思いながら、自転車を漕いで家に帰った。