< 関東一の祇園 >
今日7月20日から3日間”熊谷うちわ祭”が始まり、朝7時から拙宅前の“梅林堂”の駐車場にて、うちわ祭の安全を祈願する神事が行われた。昔は、神輿の担ぎ手が荒川の水で禊をやっていたのを記憶しているが、今は荒川に向かって神輿のお祓いが行われるようになった・・・
実は、一昨年、昨年と相次いで義父、義母が亡くなりお祭りを祝うことが出来ず、軒先に祭の花飾りを吊るすこともなかった・・・
「熊谷うちわ祭』のことを公民館の”ふるさと熊谷セミナ”で学んだので、今年は講師の新島章夫氏に教わった”うちわ祭の見所や所縁の品等”を見てまわりたいと思っているが・・・
今日21日は、とても暑く朝からクーラーを点けないと部屋に居られないくらいだ。4時過ぎに自転車で祭に出かけたが、国道17号へ通じる道はいたるところ車両通行止めとなっていた。市役所通りに通じるアンダーパスを抜けてお祭り広場にでた。午後から17号は通行止めとなり、夜の山車の敲き合い見物に人々が集まり始めていた。
20日6時に愛宕八坂神社で渡御発輿祭行い、7時に拙宅前で発輿の神事を執り行った神輿が、市内を巡行し、ご神体は、お祭りの期間ここ”お仮屋”に安置される。お仮屋には、うちわ祭を盛り立てた”草分け6人衆”の家名入りの提灯が掲げられていた。
お仮屋の裏手に”祇園柱”が建てられていた。
熊谷はお仮屋の後方に、日本に3本だけだったとされる祇園柱が立ち、町衆は祭りの間、神様のご利益に触れることができるのだ。この柱で白衣に狐面の神楽師が軽業を披露したという記録もあるそうだ。また、お仮屋でお賽銭をあげて参拝し、うちわを貰う人が列をなしていた。
お仮屋で愛宕八坂神社の場所を確認すると、秩父線の上熊谷駅の線路を挟んだ反対側にあると教えてくれた。更に「今神様はお留守ですよ。」と加えた。
早速、自転車でそこへ向かったが、人通りが多く裏道を抜けてやってきた。
矢張り神様は、20日の渡御発輿祭からお留守で社殿の扉は閉ざされていた。拙宅から上熊谷駅までは徒歩3分程であり、この神社の前を何度も通ったことはあるが、”うちわ祭のご神体”が祀られている愛宕八坂神社とは今日の今日まで知らずに過ごしていた。直ぐ近くには石上寺があり、その先に星渓園がある。この星渓園は、草分け6人衆の一人で竹井家の住まいだったと聞いている。しかも竹井家の御曹司が秩父セメントに勤めていたので、少し身近に感じられる庭園でなのである。・・・
22日今日はうちわ祭りの最終日、朝から”暑いぞ熊谷”であったが、午前中から孫のお風呂の手伝いに出かけた。最初は、赤子を抱き上げるのもおっかなびっくりであったが、最近はだいぶしっかりして来たし、こちらも慣れてきたので、お風呂に入れるのにもゆとりが出てきたように思う・・・
6時過ぎに息子が帰ってきたので、カンビールを飲みほしてから自転車で出かけた。自転車を上熊谷の新幹線下に置いて、高崎線を渡ると、もう人混みの中だった。八木橋デーパート前での山車の敲き合いが丁度終了したところで、興奮未だ醒めやらぬ群衆のざめきを感じた・・・国道の中央分離帯には観衆が座り込み、屋台で仕入れた物を食べたり、飲んだり、あるいは疲れて休んだりしていた。こうした人の列がお祭り広場まで続いていた。その両側を出しに続いて人波がうごめいていた。そんな中で中央分離帯のわずかな隙間に乗っかり写真を撮った・・・
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