8.鮎の友釣りのおとり
『風の又三郎』には『鮎の友釣り』のお話は登場しませんが、岸の土手に大きなさいかちの木があるモデルとなった豊沢川の「さいかち淵」の辺りは、カジカも居る程の清流だったでしょうから、きっと鮎も沢山住んでいたことだろう。庄助が発破をかけた狙いは、鮎だったかも知れない。
私が子供の頃の田舎でも『鮎の友釣り』をやる人は珍しかった。そのころ兄が出張で湯沢市に出かけた折に釣具屋さんに立寄り、スポンジを鮎の形にしたものに色を付けた疑似鮎を買ってきた。この疑似鮎は本物そっくりにできているから、これを使って『鮎の友釣り』をやれば生きた種鮎(友釣りに使うおとりの鮎)がとれるだろうと言って、母方の祖父に預けた。
川に溯上した春から初夏の早い時期には、鮎はまだ小さく流れてきた羽虫を食べるようで毛針にも食い着くようだ。私が秩父に住んでいる頃に荒川で毛針に若鮎がかかったことがあるし、熊谷に住むようになってからも毛針で鮎を釣ったことがあるが、それは、それは大きな引きで、さぞかし大物がかかったように竿がしなった。その10センチ程の鮎が大きく育つと川底の石についたカンナ(水苔)を食べるようになる。このカンナにスイッスイッと鮎の食べた跡のことをとこなめ(床舐め)と言って、この「とこなめ」が見つかると近くに鮎がいると判るのだ。そして鮎は自分の餌場に縄張りがあるようで、その縄張りに他の鮎が入り込むとそれを追いかける習性がある。『鮎の友釣り』はこの習性を利用したもので、釣り糸に取り付けた「鼻管」をおとりの鮎につけ、更に釣針をお腹の下のひれに通して、釣り針を3本束ねて錨状にしたものを垂れ流した仕掛けを使う。縄張りに入って来た鮎を追い払おうとして、錨状の針に掛かったところを釣り上げるのだ。ただ、この針にはアギ(返し)がついていないので釣り糸を決して緩めないようにタモで捕りこむのが釣り人の腕だと兄から聞いたことがる。祖父と一緒に川に出かけ、これと同じ仕掛けを疑似鮎に施し、早速川に放してみたが、疑似鮎が浮かび上がってきてしまった。そこで祖父はスポンジ製の鮎のお腹に切れ目をいれ、そこに鉛の重りを入れて調整し、何んとか川底を泳いでいるように見せることができた。そして出来るだけ鮎の居そうな瀬に狙いをつけて、その疑似鮎をひっぱりまわしましたが一向に手応えが無かった。
このやり方で「種鮎」を捕まえて、私に「鮎の友釣り」を教えてやると張り切っていた祖父もとうとう疲れてしまい、一服しようと言って川岸の大きな石に腰を下ろしおにぎりを食べた。そしておにぎりを食べ終わると懐からたばこをとりだして、おまえもどうだと煙草を勧めてくれたのだ。その頃はまだ小学生だった私を一人前にみてくれたのかと、今でも懐かしく思い出す。
それからも祖父は疑似鮎を泳がせながら、鮎のとこなめ(床舐め)を探してあちこちの瀬を渡りあるいたが、これに騙される鮎は一匹も現れなかった。私は「鮎の友釣り」を教わるために作ってもらった仕掛けのついた釣竿を担いで、祖父の後を一日中ついて廻った。夕方になり「今日ぁ釣れねがったな、つよし」と一言つぶやいて祖父は疑似鮎を大事そうに袋に仕舞い込み、急な崖の道を登り家に帰って行った。それ以来私は「鮎の友釣り」をやってみようとはしなかった。
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