稲葉浩志 Live in サンドーム福井

  鯖江市めがねミュージアム
  鯖江市めがねミュージアム

 あるとき家の車のナンバーを見て「B’zのフアンですか。」と話しかけた人がいた。それはB'zの稲葉さんにちなんだナンバーだったからである。それ以来、息子はその方の息子さんとB'zの情報交換するようになり、福井でのライブのチケットが取れたが行けなくなったのでどうかとの打診があった。それは福井県の鯖江市のサンドーム福井が会場であったが、私も北陸新幹線に乗ってみたかったので同意した。

 かくして1月30日の朝8:43に熊谷から上越新幹線に乗り、高崎で北陸新幹線(はくたか)に乗り換えで金澤に向かった。この新幹線は各駅停車ではあったが、金澤から特急に乗りつぎ12時過ぎには鯖江市に着いた・・・熊谷から約3時間半ほどであった。

  めがねミュージアム入口
  めがねミュージアム入口

早速駅のコインロッカーに荷物を預け、観光案内所でお食事処を尋ね、少し遅目の昼食を摂ったが、地元の人にも人気の食堂であった。

再び駅に戻りライブ会場を確認し、観光スポットも訊いてみると『めがねミュージアム』を紹介してくれた。それは駅からかなりの距離があり、途中で引き返そうかとも思ったが、何んとか辿り着いた。鯖江市は国内メガネフレームの8割以上を生産しているとのことで、たいそう立派なミュージアムであった。

 ・ 鯖江市にめがねの匠の逸品と「ミュージアム」に並ぶ名士の写真

稲葉さんのツアートラック
稲葉さんのツアートラック

 時間を見計らってライブ会場へと向かったが、これがまた遠かった・・・今回は雪靴を用意しようかと思っていたが、路肩に雪が残っていたものの歩道には無く幸いであった。着いてみるとフアンが集まってきていたが、こんな地方都市でこんなに大きなドームをいっぱいにするほどの来場者が来てくれるのかと気がかりであった・・・

それはとんでもないことで、駐車場のナンバーをみると、京都、名古屋、金澤、滋賀などの周辺のフアンがやってきていたのだ。

 稲葉グッツを買い求める人々
 稲葉グッツを買い求める人々

 サンドーム福井の座席は円形に配置されており、その右端のブロックであった。これまでのライブでサイドから観たことが無かったので新鮮であった。稲葉さんはスタンドマイクを両手で握り締め、右足を前に出し左足で踏ん張りながら反り返り、高音の歌声を轟かせるスタイルは迫力があった・・・それに応えるフアンは立ち上がって腕を振りジャンプしてリズムを刻んだ・・・若者が考えていること言葉にして稲葉さんが叫び(唄い)かけると若者の胸にグサリと突き刺さるのであろうか・・・若者は受け取った熱い気持ちに腕を振り上げジャンプして応えているのであろう・・・

 稲葉さんのトークでは、楽屋があまりに寒くて暖房をありったけつけたら、ブレーカーが落ちちゃったそうだが、ドームの客席がゆさゆさ揺れ、真冬の広い会場に熱気が立ちこもって来るのを感じた・・・これがロックのライブなのだと私も負けずに腕を振ったが、時々腰を下ろして双眼鏡で眺めた。 

稲葉さんが、バイクの免許を取るところをフォーカスされて、ジーパンを靴下に押し込んだ姿の写真を撮られしまいカッコ悪くて、やり直したいと言いってた。さらに大型バイクの店の人が福井出身で結構ヤンチャで当時憧れていた・・・今夜は福井のヤンチャ振りを出して行こうぜと呼びかけ会場を盛り上げた。こんな若者の熱気の中にいると何だかエネルギーが充填されてくるのを感じた。

   のどぐろの焼き物
   のどぐろの焼き物

 鯖江市内のホテルは満室で特急サンダーバードで福井まで引き返した。ホテルに荷物を置き食事に出かけた・・・ホテルで海鮮料理の美味しいお店を教わってきたので、珍しいお魚を食べることにした。息子が『テニスの錦織圭が日本に帰ったら”のどぐろ”を食べたい。』と言っていたのを覚えていて、まず”のどぐろ”の焼き物を頼んだ。お値段は時価の表示で少々高かったが美味しい魚であった。

   かわはぎのお造り
   かわはぎのお造り

 かわはぎのお造りは初めて食べた。紅葉おろしで肝を挟んで食べるのが美味しいと教えてもらった。これは確かに珍味で酒の肴にぴったりであった。地酒の”永平寺”を呑みながら美味しく食べた。それから富山湾で捕れる”白エビ”のから揚げも食べたが、こちらは珍しいだけだったかな?

そうそう一番最初に食べたのは越前蟹のお安いのを一尾でありますが、越前蟹の値幅には驚くばかりであった・・・

 ・ のどぐろとかわはぎの刺身美味しくて寺に参らで永平寺吞む

  福井の恐竜博士と私
  福井の恐竜博士と私

 1月31日には、ご先祖が眠る曹洞宗の総本山である永平寺に参拝したいと考えていた。しかしながら息子と一緒だったので、永平寺はまたの機会とした・・・ただ、福井には恐竜博物館があるというので調べてみたが、駅からかなり離れていたので諦めて金澤で観て廻ることにした。

 駅のベンチに恐竜博士が座っていたのでご一緒に写真を撮らせてもらった。

   新しくなった金沢駅
   新しくなった金沢駅

 金沢駅のコインロッカーに荷物を預け、タクシーに乗って兼六園に向かった・・・金沢は全国一の金箔の生産地であったので空襲を受けずに済み、古い建物が多く残っていると運転手が説明してくれた・・・他の見所の話を聞きながら10時頃には兼六園に着いた。私は富山の兄に連れられて2度ほど来たことがあるが、冬場の雪つりの景色は観たことがなかった。こちらは写真で見ていただこう・・・

 ・暖冬で雪は降らねど雪つりの兼六園に無くば寂しや

今日も多くの観光客がやって来ていた・・・特に中国系の団体客が多かった。この季節、観光客はこの雪つりを観に来るのだという。タクシーの運転手も最近は雪は少なくなったが、毎年11月には入ると風物詩としての雪つり作業が始まるのだと話していた。 

    浅野川茶屋町
    浅野川茶屋町

 今度は兼六園からタクシーで浅野川茶屋町に向かった。タクシーの運転手さんが、茶屋町の家並みは昔のままだが、一階は殆ど土産物屋になっているので、国指定重要文化財になっている『志摩』を見学するようにと教えてくれた。

確かにここも観光客が多く、昔ながらの風景をじっくり味わうことができなかった。

  国指定重要文化財『志摩』
  国指定重要文化財『志摩』

 入場料を払って中に入ると丁度説明が始まっていた。お茶屋で遊んでも帰りがけに勘定書を出すような”無粋”なことはしなかった。だから一見さんはお断りで、お付き合いのある信用のおける旦那衆しか上げてもらえなかったそうだ。いくらお金を持っていたとしてもこの掟だけは、頑なに守られてきたのだと付け加えた。

 ・ 一見の入れぬ茶屋に腰おろし土産話の写真に納まる

 金澤蓄音器館(携帯用)
 金澤蓄音器館(携帯用)

 昼時となり近江町市場に向かって歩いている時、この『金澤蓄音器館』に出くわした。息子が音楽好きなので立ち寄ってみた。館内にはエジソンが発明した世界初の蓄音機からの発展の歴史的な機器が展示されていた。子供の頃、おばあちゃんの家にゼンマイ式の蓄音器があり、三門広(?)の『唄入り観音経』を聴かされていた・・・今でも出だしの一節を覚えているほど聴いた。蓄音器によるレコード鑑賞会の時間ではなかったが、事情を話したら館長が特別にゼンマイ式の蓄音器で『第三の男』のレコードをかけてくれた・・・

それを聴きながら映画のシーンを思い出し『バルーン、バルーン』と呟いてしまった・・・館長もその映画を観ていた事があるらしく、微笑んでくれた。

 ・ ゼンマイの弱まり行くを音で知り手回し加ふる蓄音器かな

  武家屋敷跡(足軽の町)
  武家屋敷跡(足軽の町)

 近江町市場で海鮮の昼食を食べようとしたが、日曜日でもあり観光客が多くどこも長蛇の列であった。少し奥まった店を見つけやっと昼食を済ませることができた。

 それからお土産を買い求め、まだ少し時間に余裕があったので武家屋敷に行ってみた。小さな蟹2匹をいれた大きな発砲シチロールの箱が邪魔であったが持ち歩くしかなたった・・・やっと辿り着き家の中を見学させてもらった。身分は足軽ということで調度品も質素で、並べられていた家族の箱膳が意外に小さく、当時の食生活がつつましやかなものであったことを伺い

知ることができた。

 ・ 武家屋敷足軽の箱膳小さければ肩寄せ暮す家族浮かび来

 二人とも疲れてしまい大通りへ出てバスに乗って金澤駅に戻った。息子が土産物を探している間、私はベンチで一休みできたので息を吹き返し、予定通り16時少し前の新幹線(かがやき)に乗り込んだ。全席指定が満席であった。

 暫くして重い思いをして持ち歩いた地酒を取り出して一人で吞んでいる内に眠くなってしまった・・・乗り換えのため長野で下車したがホームを間違えてしまい、息子に荷物を全部持たせることになり、難儀を掛けてしまった・・・こうして18時半こと熊谷に着いた。

 火曜日には息子が金澤から発送してくれた地酒”前田利家公”が届き、土産に買った烏賊の塩辛でお酒を楽しんでおります・・・