風の又三郎 空白の9月3日 (13)

  泥湯温泉手前の桁倉沼
  泥湯温泉手前の桁倉沼

13.夜釣り

 

 この「板戸沼」には何度か夜釣りに行ったこともある。土曜の午後から支度を始め、鯰の餌に小指ほどの太さのミミズを何匹も捕まえ、夕方には沼に到着するようするのだ。

 この時は従兄弟二人とすぐ上の兄、それに伯父も一緒でした。この伯父(トッチャン)は「板戸沼」を少し下った所の若畑部落から更に山を越えた新田という不便な山間の部落で育った。ですからどんな物でも修理して使い、アケビの蔓で籠を編んだり、木の皮(マンダの皮)で蓑を作るとか、自分で何とか工夫することが自然に身についていたのであろう。時々、村の人から鍋の修理を頼まれると鉄の鍋でもアルミ鍋でも上手に穴を塞いでくれる便利屋として皆から重宝がられていた。このトッチャンと一緒なら夜釣りでも安心できた。

      桁倉沼
      桁倉沼

 「板戸沼」に着くと対岸の大きな柳の木の下に陣取り、トッチャンは荷物を下ろすと直ぐに鯰を釣る大きな釣針に大きなミミズを着け置き針の準備を始めた。トッチャンは幾本かの仕掛けを持って沼の岸を巡り、鯰の釣れそうな場所を選んで投げ込み、岸辺の木に結び付け小枝を折って目印にしていた。

 私たちも大きなミミズを釣針に着けて、思い思いの所にドボンドボンと投げ入れて石を組んで竿を立てておいた。それから皆で枯れ枝を集めて戻ってきたら、トッチャンは沼へ来るときに採ったミジ(ムササビ草)の入った味噌汁の準備をしていた。そして夜になり焚き火を囲み、暖かい味噌汁をすすりながら持ってきたおにぎりを食べた。後は焚き火に照らされて幽かに見える竿の先が動くのをじっと待って夜を明かすのだ。鯰は沼の深い薄暗い所に住み、夜に餌を漁るらしく、沼底でにょろにょろ動く大ミミズを見つけて、喰いついてくるのを待つのだ。

 私と従弟が焚き火にあたりながらうとうとしていると、カンテラを下げて見回りに行ったトウチャンが鯰をぶら下げて帰ってきた。こうしてトウチャンは朝までに五、六匹の鯰を釣り上げたが、私と従弟の置き針には掛からなかった。やはり仕掛ける場所選びが下手だったのであろう。私と従弟は焚き火の近くで眠ってしまい、明け方寒くなって目を覚ますと味噌汁ができていた。その時のジャガイモとササギの入った味噌汁の味は忘れられない。

      桁倉沼
      桁倉沼

 すっかり陽が上り明るくなってみると兄の竿が一本無いのに気付いた。辺りを見回したら沼の中ほどに竿の持ち手の方が、浮のように立って50センチほど水面から顔を出していたのだ。

 この沼の主と言われる丸太のような蒼黒い大きな鯉がいて、朝方と夕方に沼の周りを回遊するのを見たという噂を聞いていたが、さてはその大鯉が喰いついたのではないかと顔を見合わせた。朝の水はまだ冷たかったのに兄は泳いで行って竿を引き上げようとしたが、糸が沼の底の倒木に巻きついたのか、とうとう糸が切れてしまった。

 この釣竿を沼の真ん中まで引っ張っていた魚は、果たして沼の主と言われる大きな鯉だったのかどうかは、未だに謎のまゝだ。夜釣りから帰った日の夕飯にトッチャンが、上手に鯰の蒲焼を作ってくれたが、鯰のグロテスクな姿を思い出して食べることができなかった。

 それから何十年も経ってからのことだが、浦和市の別所沼の畔にある鯰料理専門の料亭で鯰料理のフルコースを食べたことがある。

 そのお膳を運んできた仲居さんに「この鯰は別府沼で捕れたのですか。」と尋ねると「この鯰は岡山から運ばれてきたものですよ。」と教えてくれた。すると岡山の水島から来ていたお客さん が、すかさず「そうそう、新幹線で私の隣に乗っていた鯰ですか。」と切り返して大笑いしたのを思い出している。

                                  (つづく)