三郎さんからの手紙
鈴木さんに送ってもらった『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』を三郎さんに届けて、暫くして感想文を添えた手紙がきました。
三郎さんは父方の祖母の実家であり、亡くなった秋田の兄貴と小学校からの同級生なのだ。
三郎さんは宮沢賢治が好きで、青年団の頃には賢治の「植物医師」の演劇を兄と一緒になって村で公演したり、ガリ版刷りの文芸誌をだしていたようだ。几帳面な兄の書体はその頃から続いていたのではないかと思われる。また、鈴木さんの著書でも取り上げられている松田甚二郎の「土に吠えろ」も貪るように読んだものだと話していた。
一時期、皆瀬村の村長を務めたこともあるが、その後弟子入りすることもなく、木地山系のこけしを作るようになった。特に横手市が舞台となったNHKの朝ドラ『まんさくの花』では、三郎さんが作った『まんさくの花』こけしがヒロインのマスコットに採用されたことから、こけし愛好家が全国からやって来てくれるようになったと言っていた。
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鈴木守さんの『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』の本とその地の資料をお送り下されありがとうございます。
鈴木さんの著書はいつもながらの深究心と洞察力にはただただ感心するばかりです。
特に今回の本は、私のノミコミの悪いものでも手にとるようにわかるので推理小説でも読むように一気に読んでしまいました。
危険人物として検察ににらまれたり、ソ連では啄木と同様にアナーキストとして評価されたり、私の今迄の賢治観とはちがった内面をみることができて、甥の岩田教授が『普通の伯父さんだったよ』によく表現されて、あヽやはり賢治も人間的には、『ただの人であったんだ』と今更に安堵した次第であります。
どんな人でも人間は人間であって、弱さも短所も持っているものです。聖人君子などその人を偶像化することによって、その人の本体がかくれてしまうものです。しかも賢治の「雨ニモマケズ」を権力者が私用しており、益々賢治が聖人化され、伊藤ちゑも高瀬露も犠牲にされたが、鈴木さんの研究によって明るみになってきたことは大変嬉しく思いました。 『皆んなからデクノボーと呼ばれ、もめられもせず、苦にもされず そういうものになりたい』が賢治の本当の願望だったのが 今回の著書によって明らかにされました。
それにしても鈴木さんの己の疑問を徹底解明する気構えとは、たいしたものだと感心するばかりです。
私も数えの八十八、奥宮小学校の同級生の男で残っているのは私一人だけです。女のかたは4,5人元気でおります。私ももう少し生きてみようかと思っております。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 三郎さんは、いたく鈴木さんを褒めておりました。友達が褒められることは、とても嬉しく、気持ちのいいものだということを実感した。
以前、鈴木さんが探してくれた松田甚次郎の「土に叫ぶ」(希少価値の高い古書)を兄の四十九日に三郎さんに渡した時のことを思い出している。その時も、とても懐かしそうに手にとっておりましたので、おそらく昔を思いだしながら読まれたことでしょう・・・ブログにこのことを書き落としてしまったので、追加して改めて御礼申し上げます。
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