「ジャズベース Best10」 新宿Jスポット (16.7.30)
「人生が変わる 55のジャズ名盤入門」の著者でベーシストの鈴木良雄氏が「ジャズベース Best10」を語るというので、いつものようにジャックダニエルを手に楽しみに出かけた。そこは新宿御苑からほど近いこの本の出版記念パーティーのあった新宿ジャズ・スポットJである。
しかし、靖国通りに出てから反対方向に向かってしまい、コンビニで場所を教わる羽目になってしまった。真夏の陽が照り付ける午後2時過ぎに会場に着いた。少し早かったが、地下1階のドアを開けると既に2,3人入っていた。Chinさんが「熊谷からよく来たね。」と言ってくれたので、ほっとして言葉を交わし、友人に差し上げる本を買い求め、Chinさんに友人の名前入りでサインをしてもらった。
お客さんの前での演奏は慣れているが、こういう形でお話するのは初めてだと言いながら講演会が始まった。周りを見渡すとノートを取りながら聴く人がいたり、どうもジャズを学んだり実際に活動している人が多いようだ・・・私のテーブルの対面には若いドラマーが座り熱心にメモを取っていて、時々Chinさんが声を掛けてきた。
Chinさんは早稲田ジャズ研の部室の扉を開いたところから始まり、ジャズ喫茶に入りびたりジャズピアノを弾いているうちに人生が変わってしまったと懐かしそうに語った。そして主に3人のベーシストの名前を上げ、その人が演奏するアルバムのCDを聴きながら、かなり専門的なお話と実演を交えながら進めていった。
初に取り上げたポール・チェンバースは、母方のピッツバーグ生まれで13才の時に母親が亡くなって、父親の住むデトロイトに移ってきた。最初はチューバを吹いたがチャーリー・パーカーやバド・パウエルを聴いてからベースに転向したのが14才頃だが、体育会系の父親はベーシストに成るのに猛反対したそうだ。
彼は、多くのジャズの偉人を輩出したカス・テクニカル高校に通いながら、現在の音大に優るクラシックの高等教育を受け、ベースの腕を磨き上げていったという。
学校ではデトロイト交響楽団のコントラバスの名手、そして放課後はご近所の住人、ユセフ・ラティーフやバリー・ハリスがジャズ理論をしっかり教えてくれたという。ポール・チェンバースは、33歳の若さで亡くなってしまうが、私は青山の教会でバリー・ハリスのライブを2回ほど聴いたことがある。
楽屋を訪ねて彼に握手してもらったが、このピアニストの手は意外と小さく柔らかったことを覚えている。
その後NYに出て、マイルズ・デイヴィスやジョン・コルトレーンとの活躍では、名盤と謳われるアルバム群を残した。そのマイルズ・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」のCDを聴きながら、チェンバースのベースについて語ってくれた。彼はスラム・スチュアートと共に、ジャズ史上初めてピチカートと弓(アルコ)を併用したベーシストだと言い、その頃の弦は羊の腸で作られたガット弦が使われていたと解説してくれた。
そしてChinさんも弦の振動を短く抑えた「噛む(掴む)」音がリズムを刻む上で大切だと好んでガット弦を使っていると語りながら、スチール弦の音とを比べながら、そのCDを聴かせてくれた。
家に帰りネットでチェンバースを検索したら 「スイングの定義は、はポール・チェンバースが繰り出す二つの連続音である。」という記事があった。
次に登場したレイ・ブラウン(Ray Brown、1926年10月13日 - 2002年7月2日)は、USAのピッツバーグ生まれのベース奏者であり、スウィング期、ビバップ期に活躍したのジャズミュージシャンであり、繊細で女性的な音色が魅力だと語った。そして人差しの腹で弾く指1本奏法で華麗なベースライン、ソロを紡ぎ出す名人中の名人だという。
「ジャズのベースはレイブラウンに始まり、レイブラウンに終わる」なかでも2ビートのフレージングは神業的で、黒人が素足で地面を踏み鳴らすリズムで中々真似できないと語った。この辺の所はChinさんの本の処々で述べられており、ジャズは彼らを人種差別からの解放してくれたのであろうと語った。
レイ・ブラウンの奏法が気になりユーチューブの動画を眺めて観た。もちろん人差し指の腹を使う奏法も確認できたが、やはり人差し指と中指を交互に使うテンポの速い奏法も心地よかった。彼の動画の中には、若手のベーシストの演奏を聴きながら、一人ひとりに実演を交えながら指導するものがあり興味深かった。
ポール・チェンバースとレイ・ブラウンがともにピッチバーグ生まれとは知りませんでしたが、私もビジネスで2回ほどピッチバーグに滞在したことがる。製鉄の街ピッチバーグのコンサル会社に「時系列解析と多変数予測制御システム(SLTAC)」の活用指導のためであった。英会話もろくにできないのに、よくも面倒な理論を説明したものだと冷や汗が出る思いだ。
当時ジャズにはほとんど関心なかったが、世話役のシュナイダー氏がある夜コンサートホールに案内してくれた。すり鉢状の観客席を備えた大きなホールであった。今考えると多分ジャズライブであったと思われるが、もったいないことをしたと思い出している・・・
3人目に登場したのが、ロン・カーターであった。
実は数年前の東京ジャズで聴いたロン・カターのベースの音がズン・ズン・ズンと響いてきて、ジャズのことなどまったく知識はなかったが、思わず息子にこのベースは好いねと呟いた・・・これが初めてベースを好きになった瞬間だった。
このベースの音は、ジャズにおける心臓の鼓動ようにリズムを刻んで行くのだとChinさんは解説してくれた。樹木で言えばベースは幹であり、ピアノやサックスやトランペトが枝や葉となり美しい花を咲かせることができるのだということだ。
ChinさんがNYで活動しているころロン・カーターのレッスンを受けたことがあるそうだ。その時のロン・カーターはガット弦にナイロンを巻いた弦を使っていたと話していた。Chinさんはポール・チェンバースとロン・カーターを目指して修業してきたと付け加えた。
そして、今では日本のチン・カーターと呼ばれているとジョークを飛ばした。
講演が終わっての質疑で「60年代以降のどんなジャズを聴いたらいいのでしょうか。」と言う問いにChinさんは、「50年代から60年代でジャズの進化は止まってしまった感がある・・・」と自分の体験談を交えながら語っていた。
持参したバーボンを渡しながら、最近大人気のジャズ漫画の「Blue Giant」を知っていますかと尋ねると近くにいたジャズ・スポットJの幸田オーナーが「私がBlue Giantに登場しているらしい。」と口を挟んできた。ジャズ・スポットJと似た名前のジャズバーのオーナーの雰囲気と口調は確かに幸田さんを思わせるものがあると息子が言っていた。
友人の奥様はバイオリニストであったこともあり、クラシック音楽を好んでいたが、最近ジャズでビル・エバンスのピアノを聴いていると言っていた友人に、Chinさんにサインしてもらった本を送ったら、次のようなメールが来てびっくりした。
『筆者鈴木良雄さんの叔父様である才能教育創始者鈴木先生は家内の恩師です。才能教育が始まった時代に松本の先生のご自宅でバイオリンを習い始めたとの事です。
結婚後私も家内と共に鈴木先生のご自宅を何回か表敬訪問し、家内の子供から娘時代、渡米の経緯あれこれ伺いました。縁は本当に不思議な巡り合わせ生むものと感じます。家内も是非拝読したいと願っております。』
鈴木良雄氏の祖父は、日本で初めてバイオリンを制作した人で、叔父さんが「バイオリンの鈴木メソッド」を開発されたと方だとドキュメンタリー・タッチのドラマが放映されたのを観たことがあり、ひょっとしたら友だちの奥様はご存知かも知れないと思っていたが、予想が的中したのには驚いている。
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