世界遺産 国立西洋美術館 (16.8.3)

 8月3日は旧秩父セメントの初出荷記念日であったが、そのOB会企画の「上野・鈴本演芸場」での寄席観賞会に参加した。配られた缶ビールを飲みながらお弁当を食べ、落語を楽しんだ。久々振りに大口を開けて笑った。

 終わってから同期会があったが、予定がありその時間調整のために上野公園に立ち寄った。

   正岡子規記念球場
   正岡子規記念球場

 しばらく歩いて行くと「正岡子規記念球場」があった。上野公園には何度も来ているのに、これまで気づかなかったが、子規が野球好きだったことを思い出した。ベースボールに「野球」と命名したのは、正岡子規だと聞いたことがる。子規が東大に在学中にこの辺りで野球を楽しんだのであろうか。

 この野球場の脇に子規の句碑があった。

   春風や鞠を投げたき草っ原

 子規の古里は松山の道後温泉であり、そこは夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台となったことを知らない人はいないだろう。この坊ちゃんのモデルとされる人物が、熊谷高校でも長いこと教鞭をとっていたことは、熊谷で暮らすようになってから知った。漱石が松山で下宿していた家はいまでも残されており、そこの一階に子規が居候していた話も有名である。

 小学の教科書にも出てくる

  柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

という有名な俳句は、漱石に別れを告げて東京に帰るときの旅先で詠んだ俳句だと言う。

 子規は、野球だけでなく近代の短歌や俳句に大きな影響を与えた。今度、上野の森に下にある「根岸の子規庵」を訪ねてみようと思った。

  国立西洋美術館
  国立西洋美術館

 国立西洋美術館が世界遺産に認定されたというので、少し立ち寄ってみようと思ったが、既に5時を過ぎていた。守衛さんに写真だけでも撮らせて欲しいと頼んで中に入れてもらった。この建物も横目で何度も見たことはあるが、入館したことはなかった。西洋美術館の前の庭には、子供の頃に写真で見たことのある有名な彫刻があった。

  ロダンの考えるひと
  ロダンの考えるひと

 この彫刻には思い出がある。私が中学の頃、中学の佐藤俊吉校長に随行した兄が上京した折りに、この西洋美術館の彫刻の写真を撮って来た。その頃は、まだ白黒であったが、かえって印象深く記憶に残っている。特にこの「考えるひと」は、兄の写真のモデルにされて、黒いセーターを着て同じポーズをとらされたが、その頃のニキビだらけの顔が恥ずかしかったのを覚えている。

兄は、お気に入りのオリンパスのカメラで写真を撮り、農協主催の品評会に出展した。もちろん、秋に収穫された農産物が主な対象であったが、稲藁を編んで作った作品なども出展されていた。

 他の彫刻それぞれが、当時見た白黒の写真を懐かしく思い出せてくれた。