14.川遊び
この「風の又三郎」には9月7日と8日に村の童たちが大きなさいかちの木がある「さいかち淵」で水遊びした話が出てくる。
『一郎が「石取りさないが。」と言いながら白い丸い石をひろいました。「するする。」こどもらがみんな叫びました。「おれそれであ、あの木の上がら落とすがらな。」と一郎は言いながら崖の中ごろから出ているさいかちの木へするするのぼって行った。そして、「さあ落とすぞ。一二三。」と言いながらその白い石をどぶん、と淵へ落としました。』
こんな遊びを私の村の子供たちもやっていたし、川の中での鬼ごっこや、「毒もみ」の真似事もやったことがある。
この遊び場となった皆瀬川の両岸は、多分粘土質の岩盤だったらしく、長い年月の間に繰り返された雪解けの濁流や二百十日辺りの豪雨の度に削り取られ、川は三段に削られた深い谷底を流れるようになったのではないかと思う。この崖の一段目は20メートル、二段目は10メートルもあり、川岸は杉林になっていた。崖の途中には、ねぶた(ねむの木)が生えていて、一月遅れの七夕には「ねぶた」を切って来てリヤカーに取り付け、短冊を吊るした。七夕が近づくと村の童たちは、奥宮神社の中ノ宮に集まり和紙を切り、その両側に赤インクと青インクを水で薄めて染み込ませて短冊を作ったり、太鼓の練習をした。当日はこの太鼓に合わせて大声で軍歌を唄いながら、提灯で照らした「ねぶた」を引いて村中を練り歩いた。今では軍歌は唄われなくなったようだが、当時は年上の子が軍歌を教えてくれたのだ。終いには学校の体操場に集まり、持ってきたお重を広げて皆で分け合って食べた。その晩は、そのまま体操場に泊り、翌朝早くに年上の子たちが「ねぶた」を川まで運び、それを川に流すのが習わしであった。こうして七夕が終わると夏休みに入り、川遊びの季節に入るのだ。
私たちが水浴びする川にも「さいかち淵」のように名前があり、よく出かけたのは「つばめ」と「三角淵」だった。中には「ニガ子落し」と呼ばれ、昔お米の収穫高の少なかった頃には一家の食い扶持を減らすために赤子を淵に落したと言伝えのある嫌な所もあった。そんな話を聞いた子供たちは、そこには余り近づかなかった。 私はもっと怖い話を聞いたことがある。当時、夜10時になるとラジオで放送される浪曲番組を聴きにくる近所のおばさんが居た。私はダイヤル式のチューナを廻して番組に合わせる役目であったが、ある晩、おばさんが母に額を寄せながら小声で話すのを聞いた。昔、木枯しが吹くような頃に部落にやって来た旅の行商人が神隠しにでもあったように部落を出て行く姿を見た者がいないと言うのだ。そしてある家に相次ぐ不幸は、昔のたたりかも知れないと言っていた。囲炉裏端で小枝をパチパチ燃しながら母は黙って聞いていたが、私は子供の頃に聞いたこのおどろおどろしい話を今でも忘れることができない・・・
「風の又三郎」でも又三郎が一郎たちの泳ぎ方を見て笑う場面がありますが、今のように学校のプールで正しい泳ぎ方を教えてくれる訳でもなく、仲間の泳ぎを見て自分で覚えるしかなかったから仕方のないことでした。小学校でも担任の女先生に男先生が付き添い、年に一度はみんなを川に連れて行ってくれたような気がする。その時は男先生が川の浅瀬を見極めて、赤い布きれを竹に結んで川の両岸に立て、水浴びをしても良い場所を決めてくれた。女の先生は岸にしゃがんで見ていたが、男の先生は一緒になって遊んでくれた。でも、ここで泳ぎ方を教わった記憶はない。
私が小学3年の頃だったと思うが、三角に切り込みのある三角淵の平らな岩に立ち川底を眺めていたら、魚突きに来ていた上の兄が亀になって乗せてやると言うのだ。その兄は14も歳上だったので、安心して兄の背中に乗ると、兄は平泳ぎのようにして川の深い所までくると、いきなりずぶずぶっと潜ってしまったのだ。夢中で手足をバタバタさせながら30メートルほど下の浅瀬まで流され、ようやく足がつき飲んだ水にむせながら泣いた。私はこうやって犬かきで泳げるようになった。泳ぎが少し上手になると上の子共たちが遊んでいる対岸の「つばめ淵」に行くことができるようになり嬉しかった。
それからずいぶん時が経ち、母の一番年下の弟の長男ケンが小学3年生の頃だったと思うが、そのケンが「三角淵」の岩場の窪みに溜まった水で遊んでいました。私はケンに大きな魚がいると言って岩の縁まで呼び寄せると、その子は川底を覗き込んでいだ。私はケンの背中をポンと押したのだ。その子はドボンと川の中に落ち、必死でバタバタもがいていたが、流されながらも犬かきをして背の立つ浅瀬に辿り着いた。私と同じようにわっあと泣き出してしまった。ケンは家に帰ると真っ先におばちゃんの所へ行き、私に突き落とされたことを告げたそうですが、その時のおばあちゃんは黙って笑っていたと、ケンは後になってお酒を吞みながら悔しそうに私に話してくれた。
もう対岸の「つばめ淵」まで泳いで行けるようになってからのことだが、朝ドラの「あまちゃん」の北の海女が使っていたような水中メガネが家にあったので、こっそりそれを持ち出して川に行った。川に着くと兄がいつもやるのを真似て、ヨモギの葉をむしり取ってそれを手で揉んで葉の汁で水中メガネのガラスを磨いてから顔にかけた。この大きな水中メガネを通して見る川底は明るく別世界のように思えた。息揚々とみんなのいる「つばめ淵」まで泳ぎ着くと、川底の小石を拾ってくる石取りをやっていた。私も急いで岩を登ろうとしたが、粘土質の崖は濡れた足がつるつる滑った。それでも高い所まで登って、淵を目掛けて頭から飛び込んだ。するとバシャッという大きな音がしたかと思うとパチパチ火花が飛んで目の前が真っ暗になった。水中から浮かび上がると飛び込んだ時の水圧で水中メガネのガラスが割れたらしく、顔に掛けたはずの水中メガネが外れて首に掛かっていたのだ。慌てて岸に泳ぎ着くと額から生暖かいものが流れてきた。そこにいた年上の女の子が近づいて来て、川の水で洗ってガラスの破片が刺さっていないかを見てくれた。幸い大した深手ではなかったので間もなく血も止まったが、私はすっかり気落ちしていまいもう泳ぐ気にはなれなかった。私が川に下りてきた時の対岸にはまだ陽の当たって、温まっている大きな石でお腹を温めながら、家に帰って兄にどう言い訳したらいいだろうかとぼんやり考えていた。みんなが水泳ぎを終え一緒に崖の道を登ったが、この日ほど気だるくて足が重く感じられたことはなかった。家に帰り兄に正直に話をしたら「ガラスの欠片が眼に刺さらなくてえがったな。」と反対に慰めてくれた。
それにしても水中メガネをかけて見る川底は綺麗でした。それはまるで『やまなし』に出てくる『小さな谷川の底をうつした二枚の青い幻灯』のようだった。雲に隠れていたお日様が出てくると
『にわかにパッと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降って来ました。
波から来る光の網が、底の白い磐の上で美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました。』
正にこの通りでした。そして水の中で息を吐くと『蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のように光って斜めに上の方へのぼって行きました。』やはり、こうなるのでした。
この『やまなし』を読んだのは、ずいぶん後になってからだが、読む度に故郷の澄んだ川で遊んだことを思い出す。この故郷の川の上流には皆瀬ダムができ、ダムから放水すると川の水は濁り、川底には泥が堆積して鮎もカジカも住まなくなったと言う。子供の頃に泳いだ川の更に下流にもダムができたと聞いた。もう子供の頃の思い出も川底に沈み、やがて「つばめ淵」や「三角淵」などの淵の名前も忘れさられることであろうと遠い昔を思い出している。
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