3.首輪を付けた仔狸と山兎の巻狩り
なめとこ山の大空滝辺りの木々がまっ赤に色付き、冷たい風が吹き始めると間もなく冬の季節となる。山の生き物たちは長く厳しい冬を乗り越えるために、懸命に食べ物を探しまわる。動物たちは、きっと小十郎の家の裏山の栗や小さな畑の作物を食べに来たに違いない。
秋も深まり山の木の実も少なくなる頃、山の畑に狸がトウモロコシを食べにやって来る。そんな月夜の晩には、飼い犬のハッピーを連れて狸を捕まえに行った。ハッピーはトウモロコシを食べている狸を見つけると、小十郎の犬が木に登った熊のまわりをはせめぐったように、狸の周りをグルグルと三十回ほど走りまわった。すると、狸がすっかりハッピーに気を取られて、尻もちをついた格好で一緒にグルグルまわっていると、終いに眼をまわしたように倒れてしまった。しかし、二股の木の枝で狸の首根っこを押えつけると“狸は死んだ振り”をした。そこで、首と前足、後ろ足を縄で縛り生け捕りにした。
こうして捕まえた狸を担いで家に帰り着いても“狸の死んだ振り”は続いていた。土間に置いた金網を張った箱に狸を入れ、灯りを消して暫くするとノソノソと動き出した。ある晩、箱の方からポンポンと太鼓のような音がきこえてきた。障子を少し開け、目を凝らして狸を見ていると、ピーンと張った耳を前足で払って、ポンポンという音をだしていた。そうか、これが狸の腹鼓なのかと思った。
この頃は、狸は商売繁盛の縁起物として人気があり、街の料理屋さんに引き取られていった。その中には、私が餌をやって育てている間にすっかりなついてしまった子狸がいた。その子狸は首輪をつけ縄で繋いでおけるまでになったが、雪が降ったある朝、綱を噛み切って逃げてしまった。雪の上に残された足跡を追ったが、隣家の床下に入ったり、また次の家の床下に入ったりするのを繰り返しながら、ついには行方をくらましてしまった。村では、狸はムジナとも呼ばれ“人をだます”と言われてきたが、こうして首輪を着けた子狸は山へ帰って行った。それから何日か塞ぎ込んでいる私を見て、「子狸は首輪を仲間に見せびらかしているかも知れないよ。」と兄が慰めてくれた。それでも、子狸が大きくなったら、首輪がきつくなるのではないかと心配した。
なめとこ山に木枯しが吹きつける頃、夏場は茶色の野兎も、雪のように真っ白に毛がわりし、動かないと雪に溶け込んでしまう。この白い山兎を雪の中で探し出すのは大変難しいのだ。山兎は狐の追跡から身を守るために身を隠す雪穴に潜り込む前にあちこちと歩き回り、足跡を残して攪乱するのである。そんな時は一番新しい足跡を見分けることが肝心なのだが、やはりここで活躍するのが猟犬なのだ。猟犬が匂いをかぎ分けて山兎の隠れ家に近づき、山兎が飛び出したところを仕留める。
小十郎は一人マタギなので巻狩りなどはやらなかったと思うが、仲間が集まって巻狩りをすることもあった。吹雪が止んで良く晴れた朝、山支度を整えた巻狩りの仲間が五,六人家に集まってきた。それから一列になって新雪を漕ぎ裏山の麓までやって来て、そこで雪に山の絵を描いて持ち場を決める。
鉄砲を持った打ち手は、先回りして山兎が越えて逃げて来そうな尾根の木陰で待ち伏せするのだ。なにせ、山兎が下り坂を逃げる時は、三メートルもジャンプしながら走るので相当の名手でも射止めることはできない。打ち手が到着した頃を見計らって、勢子(追い手)が横に並んで大声を出し、木を“雪へら”で木の幹をたたいて山兎を追い込んで行く。
私もこの巻狩りに加わったことがある。その時は父に連れられて、高松峠を越える雪道を進んだ。「勢子が叫びだしたらこの場所から声をだせ」と父に教えられた。父は私をその場に残して持ち場へと向かった。心細い思いをしながら三十分程待つと勢子の声が聞こえてきたので、ほっとして縣命に声を出したのを覚えている。山兎が私の方へ逃げてこないように休むことなく大声を張り上げていたら、ズドーン、ズドーンと鉄砲の音がなり響いた。これで巻狩りは終了となる。
一時間も雪の中に立って居たら、手も足も冷たく悴んでしまった。私は担ぎ上げたスキーを履いて家に帰ったのだった。
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