小安峡温泉の噴湯 2018.8.12

 齢をとると夜中に目が覚める…

そしてトイレに行き、冷たいお水を飲み喫煙室で一服する…こんな事を二、三度繰り返し翌朝を迎えた…

待ちかねたように六時ころ朝風呂にのんびり入り、爽やかな気持ちで朝を迎えた…部屋に戻ると入口の床を譲ってくれた若者二人は、まだぐっすりと眠り込んでいたが、甥が起きて冷蔵庫から缶酎ハイを出してきた…

昭和20年代の小安峡温泉「佐々木進氏FBより)
昭和20年代の小安峡温泉「佐々木進氏FBより)

散歩に出て湯本の方まで行ってみた…S18年に私が生まれた時、姉は小学校の先生をしていて湯本(小安温泉)に下宿していたというが、また男の子かと言って帰ってこなかったそうだ…姉にしてみれば、既に三人の弟がいたのだ…

その頃、姉はこの写真のどこかの家にいたんでしょうね…市川さん家と聞いたような気もしますが…

もし、そうだとしたらどの辺のお家なのでしょうかね…

甥は息子二人を起こして八時ごろに朝食をとった…女性たちは既に食べ始めていた…

いつもは、朝にこんなに食べないが、秋田こまちが美味しくてお代わりをして完食した…皆瀬牧場の牛乳は濃厚だった…皆瀬牧場は、中学・高校の同期だった高橋三男さんのお兄さんが経営しているはず…

普段はこんなに食べないので満腹・満腹のまゝに部屋でゴロゴロしていると、女性たちは一足先に宿を出た…9時半頃に温泉に入り着替えた。

甥に『どこか行ってみたいところがあるか』と尋ねられ、噴湯の河原へ降りてみたいと応えた…

と言ってはみたが、帰りに登りきれるかとの不安もあった…

でも、いつもは橋の上から眺めるだけだったし、おそらくこれが最後のチャンスだろうと、思い切って行ってみることにした…

大噴湯のこと

文化11年(1814年)、江戸時代の紀行家菅江真澄が六十歳のとき、小安温泉を訪れ大噴湯(地元では,からふけと呼ぶ)を「雪の出羽路」 「勝地臨毫」に克明に記録しています。 

「湯が三、四丈(9m~12m)も吹き上り、滝の落ちる川を越えて向こうの岸の岩にあたり、霧となって散っていく。噴湯が岩の裂け目ごとに湯気の雲を湧き起こして、雷神のような響きを立て吹き上げるように湯が出ている。

 大噴湯の温泉データ:泉温91.3度、湧出量 毎分223リットル

(平成17年地熱開発促進調査より)

甥の息子たちは、上の物産店で待っているというので、『登れなかったら、おんぶしてくれよ。』と言い残し、甥と二人で向かった。大噴湯への下り口は、ブナの木陰で軽快に降り始めた…途中からコンクリートの階段に変り、つづら折りに河原まで続いた…ステップも歩幅の合っていて歩き易かった…

 大学では山岳部に入ったこともあり、山登りには自信があったが、最近は特に登り坂が堪えるようになり、帰りに不安もあったが…

途中で河原を覗き込んだときは、まだまだ半ばで一思案したが、とにかく噴湯の河原までやって来た…

駆け足で追い越して行った若い人等が、噴湯を覗き込んでいた…

今日は、気温が高いので湯気はそれほど目立たないが、蒸気を吹き出す音はいまだに凄かった…私が初めて見た50年以上昔から…

長男が5才、長女が3才の頃、義母を伴って秋田に来たことがあった…

その時、兄が噴湯を案内してくれた時の写真であるが、義母は和服を着ていた…最も家内の実家は呉服屋だったから和服を着慣れているとはいえ、当時は今ほど河原への道は整備されいなかっただろうに…

多分5月の連休だったと思うが、子供たちはセーターを着ていて、湯煙ももうもうとしているのが判る…

角館の武家屋敷も案内して貰った。その頃の武家屋敷は、それほどの観光客もなく、長閑な感じで開け放した縁側に腰を下ろし、お菓子とお抹茶をご馳走になった…

最早こんな素敵なオモテナシをしてくれるところはないでしょうね…

名物のしだれ桜ではなかったが、堀の端の桜を見たような気がする…

私には、この噴煙の中に消えて行ったもう一つの思い出がある…

高校を卒業してからのこと、中学の同級生とここ噴湯へ来たことがあった…当時は車も携帯もない頃でしたから、バスに乗り合わせて来たのだろう…デイト・スポットと言っても貝沼とか皆瀬ダム、小安峡くらいのものだったが…やっとデイトできての帰りがけ、崖の上の方から高校の体育の先生がおりてきたのだ…

最早逃場は無かった…狭い岩棚ですれ違うとき、その先生がニヤリと笑った…私は頬から火が出る思いだった…そんな淡い思い出が、この湯煙の中におぼろ気に写った…

 岩棚にひくくたなびく湯煙におぼろに揺らぐ淡き想いの出

 

川沿いの遊歩道を進んで行くと、直登に近い急な階段が見えてきた…

これが大噴湯を巡る周回廊になっているようだが、今の私には無理だと即決した…

甥も私の申し出に納得してくれたようで、少し水かさの増した澄んだ急流に目を落としながら、来た道を引き返した…

すると、甥が何かを見つけたようだ…私も近寄ってみると、濁流にもまれ、つるつるに磨き上げられた流木があった…人がサンドペーパーで磨いてもこうは行かないと思った。

その流木の節の具合といい、少しの曲がり具合といい、長さを切り揃えれば好い杖になりそうだったので拾って行くように勧めた…甥は手を伸ばして流木を拾い上げた…

左側の崖に張られた崩落防止のネットの3mほど上の方にも流木の枝が数本ひっかているのが見えた…

この辺は峡谷で川幅が狭いから、最近の集中豪雨には、そこまで水位が上がったのであろうと思った…

さて、そろそろ帰ろうと登り坂に目をやると、青空を横切る橋が見えた…まるでジブリ・アニメに出てくる天空の橋のようだ… 

しばらく歩いて坂道にさしかかると、その流木を杖代わりにと私に渡してくれた…しかしながら、ハリーポッターに登場する賢者の杖のようなご利益はなく、重くてバランスが悪かったので、ほどなく甥に返すことになった…つづら折りの曲がり角で休みながら、何とか登り切った。

待っていた甥の息子たちに『遭難しそうと電話するところだった…』と言ったら、二人共黙って笑っていましたよ…

 

これは、あの天空の橋の上から『からふけ(噴湯)』の渓谷を覗きこんだ写真である…

これは2011年10月23日に撮影したもので8月の緑とは趣は違うと思うが、谷底の景色に変わりはない。

これまでは、小安峡にはたいてい秋に来ていたような気がする…この時は前日に湯沢で高校の古希の会あった。翌日に実家に立ち寄ったら、兄は近ごろ出歩かなくなったからと甥が車で連れ出してくれた…

兄は車の後部座席で美味しそうにワンカップを呑みながら、小安峡、須川湖、片倉沼、泥湯温泉、河原ケ地獄谷と付き合ってくれた…

これも、あの天空の橋の上で撮った写真であるが、今見ると兄は少し痩せて弱々しさを感じる…

 帰るたび背中まるまる兄の横

  膝すこし曲げ写真に納まる

 

兄の七回忌に帰ってきたので、兄と一緒に撮った最後の写真を掲載した…

12日午後、昼に稲庭うどんを食べ、次女と長女の娘が、一ノ関に向けて車で帰っていった…

こうして会うのは好いが、別れは嫌ですね…

齢をとって、なおさらそう感じるようになって来た…

つづく