峰 厚介 カルテット at SPACE1497

2017年9月16日 サックスの峰厚介が若手のジャズプレーヤーを引き連れて、40年ぶりに熊谷市のSPACE 1497にやって来る。

ピアノ:清水 絵里子

ベース:須川 崇志

ドラム:竹村 一哲

 売り出し中の若手とカルテットを編成してSPACE 1497にやって来るというので、前回7月13日「バイソン片山トリオ」のライブの時にマスターに頼んでおいたが、前日にマスターに電話した。そると当日はかなり混む模様だが予約席を用意しておきますよと言ってくれた・・・

 当日は生憎の雨であったが、そそくさと夕食を済ませ18時半会場に合わせて出かけた。

丁度リハーサルを終えたばかりで、峯さんが何か飲んでいた。その机には「小南」と大きく書かれた紙が置いてあった・・・

 恐縮しながら席に着いたが、演奏前の緊張感が何となく伝わって来て、まだ話しかけるチャンスを掴めなかった。

 <特設の音響機器のチューニング>
 <特設の音響機器のチューニング>

どうも何時もの雰囲気とどこかちがうと思ってステージを見回すと、備え付けの音響機材とは別に可搬式の音響機材がセットされ、技術屋が念入に調整しているのだ。それに何本ものスタンドマイクに加え、上からも収音マイクが吊り下げられていた。もしかすると今晩のライブを収録するのかもと思った・・・

 暫くするとお客さんも入ってきた。 

 <収音マイクが数多くセット>
 <収音マイクが数多くセット>

 そして小山のように大きな体格の人が、「ここいいですか」と言って息子の斜め前の席に座った。丁度ピアノ奏者の手の動きを覆い隠すような位置だ。気の毒になり、席を換わろうかと囁いた。そして開演時刻が近ずくと共にお客さんが増えてきて、マスターが何度も折畳式の椅子を出してきた。通りすがりのマスターに「おめでとう」と小声で声をかけると、振り向いてにっこり笑った・・・私は何度もやって来たが、こんなに多いのは初めてだ。おそらく50人近い峰厚介フアンが詰めかけたのだ。

 私はジャズ好きの息子から名前は聞かされていたが、初めて峰さんのサックスを聴いたのは「新宿ピットイン50周年記念ライブ」だった。その時は大きなホールで、お顔など見えなかったが、峰さんが登場すると更に後ろの方から「厚介~!」と声がかかったのを覚えている。それから暫くして鈴木良雄さんの「人生が変わる55のジャズ名盤入門」の出版記念パーティーが新宿のJスポットで行われた時に峰さんが助っ人で来ていた・・・

 ステージ右側の椅子でダスターコートを着た老人が遣込んでいぶし銀のように見えるサックスを取り出しチューニングしているのが見えたが、この方が有名な峰厚介さんだとは気が付かなかった。

<鈴木良雄と峰厚介(出版記念)>
<鈴木良雄と峰厚介(出版記念)>

 その時は会社の先輩で早大ジャズ研だった扇田さんと左側の最前列に坐っていた。その夜の参加者の多くは早大ダンモOBが殆どだったようで、あのタモリさんも駆けつけてくれた。でも大先輩の方々にはかなわなかったようでした。 そして鈴木さんと峰さんのデュオが始まり、あの老人が朗々とサックスを聴かせてくれた・・・

 私は、直ぐ目の前で演奏する峰厚介を見た。

  <鈴木良雄、村上寛、峰厚介>
  <鈴木良雄、村上寛、峰厚介>

 その時、隣にいた扇田さんがドラムスの村上寛も中々好いよと教えてくれた。

 その後聴いた1973年収録の「フレンズ」でこの3人はすでに共演していることを知った。ジャケットの写真では、髪は黒々のロングヘアでエネルギッシュな演奏に聴こえた。

特に峯さんのサックスは、力強くビンビン耳に響いてくるように感じた・・・

 清水絵里子は、6歳から演奏、作曲、その他音楽全般を学び、16歳頃まで国内外での演奏活動を行って来た。新日本フィルハーモニー交響楽団やウィーン国立放送管弦楽団等との共演を重ねて来た・・・

 19歳のとき初めてジャズに出会い、まったく新しい音楽感に魅了され、独学と実践でジャズを学んだという。

 クラッシック音楽で鍛錬された正確なタッチから、即興演奏が求められるジャズの世界で、彼女は自由奔放に楽しみながらも、真剣に取り組んでいる様子がこの写真からも伺える。切れのあるピアノが心地良かった。

須川崇志は、群馬県伊勢崎市出身で11歳の頃にチェロを弾き始め、18歳でジャズベースを始める。2006年バークリー音楽大学を卒業後、ニューヨークでピアニスト菊地雅章氏に出会い、氏から多大な影響を受ける。

 2009年に帰国後、辛島文雄トリオを経て日野皓正のベーシストを6年間務める。

 現在は峰厚介カルテット等多くのグループに参加し、今晩は熊谷にやって来てくれた。

 子どもの頃からチェロを弾いていた彼は、弓で長い間ベースソロを聴かせてくれた。

そのベースが重低音でお腹に響いてきて、聴く人の心を震わせた・・・

 竹村一哲は、1989(平成元)年札幌市生まれで9歳からドラムを大山淳氏に師事し、中学卒業と同時にプロ活動開始した。

2006年、石田幹雄トリオで「横濱JAZZ PROMENADE」ジャズ・コンペティションに出場しグランプリと市民賞のダブル受賞。2010年8月から渡辺貞夫のバンドメンバーとしてツアー等に参加。2011年1月福居良プロデュースによるコンサートに出演、レジェンドBarry Harrisと共演。現在、板橋文夫トリオ、峰厚介カルテット等の様々なセッションに参加し全国各地で活躍している。

ここまでは彼のHPかたの紹介である。

 ドラマー竹村一哲の演奏を聴いていただければ、誰しもが納得するであろう、あの無類のリズム感、そして決して叩き過ぎず、他の奏者の演奏と調和した効果音の工夫など、ドラマーになるために生まれて来たような天才肌の若手だと思った。だからこそ渡辺貞夫のメンバーに選ばれたり、バリー・ハリスとの共演のチャンスを掴んできたのでしょう。

 近くにいても座ったままだと大きなシンバルに顔が隠れてしまう。私はどうしても彼の顔を撮りたくて、立ち上がってシャッターを切った。すると隣いた息子から制止されてしまい、顔の写っている写真は、これだけである。

 峰厚介さんは、改めて紹介するまでもないと思うのだが、鈴木良雄さんの初期のアルバム「フレンズ」に入っていた峰さんの談話によると、鈴木さんとは大学のジャズ同好会のコンサートからの知り合いだそうだ。

 その頃渡辺貞夫さんはジャズの理論講座を開いていて、鈴木さんは卒業してからも聴講していたという・・・昭和43年ころから、渡辺貞夫さんの影響を受けながら50年もの間サックスを吹いてきた。今回のパンフレットに「図太く繊細なサックス・・・」あるが、私には「野太くそして力強く、しかも繊細」にサックスの音は迫ってきた・・・

 演奏前にクーラーの吹き出し口の下に置かれたサックスに峯さんがそっとタオルをかけている姿を私は見た。最初、そのことがどんな意味を持つのか解らなかった。そして演奏を始める前にサックスを抱え上げ、まるで吾が子の体温を診るように手を当てて冷え切っていないかを調べ、手のひらで擦りながら温めていたのだ・・・これを見て初めてタオルをかけてあげたのかを知った。

 <ベースとドラムの掛け合い>
 <ベースとドラムの掛け合い>

 峰さんは自分のパートの演奏が終わると、私のテーブルに置いたコップの少し呑み、袖に下がって若手の演奏を聴いていた。そしてポケットから5cm四方位の紙を取りだし、サックスの孔と弁の間に差し込み、演奏で溜った水滴を吸い取っていた・・・

 この様な手入れをするのを初めてみた。

この様子は、子どもの体温を自分の肌で計り、汗をかいた子の脇の下をタオルで拭い、体調を気遣う母親を思わせる。

 今回のライブでドラムの竹村一哲とベースの須川崇志の掛け合いは迫力があり、見事だった。その様子を黙って袖から眺めている峯さんには風格を感じた・・・

 今日は、ライブ収録をしていたこともあり終演まで緊張感が漂っていた。そんな緊張感からも開放され、後片付けを始めた須川崇志さんと写真を撮らせてもらった。その時に、「須川さんの演奏法は特徴的ですね」と尋ねると色んなことを試していると話してくれた。彼は楽譜に目をやりながら、すっくと立ち演奏を続ける姿がとても印象に残った。

少しも顔で表現しようとしなかった・・・

    <峰厚介さんと私>
    <峰厚介さんと私>

 峯さんは、息子がお願いした何枚ものCDへのサインに快く応じてくれた。峯さんは絵が得意なようで、サインの横に自分の似顔絵が添えられていた。今晩のライブは収録されていたからかも知れないが、峯さんは曲目の紹介位しか話さなかった・・・峯さんは、トークが苦手なのかも知れないと思った。

 私は、Chinさんの出版記念パーティーで聴かせて頂いたことを伝えたら、「Chinさんとは永い付き合いだよ」とポツリと言った。

 音響のスタッフに収録した音源がCDでリリースされるのかと尋ねると、それはマネージャーが決めという・・・

 マネージャーの方に話してみると「音を聴いてみないと何とも言えない」と応えた・・・私は、CDがリリースされたら是非とも入手したと伝え、その方の名紙を頂いた。これがご縁で繋りができるかも知れませんが・・・

 まだ雨が降っていたが、今晩も満たされた気分で帰った。