捨てがたい物もありますね~
ごみのような品物を残されたら息子も迷惑であろうと思い立ち、最近になって断捨離を始めました…投げ入れ状態だった物置を少しづつ分別ごみに出しは始めるとスキー靴に出くわした。
私は秋田生まれで子供の頃からスキーを楽しんできた…最初は長靴にスキーを引っ掛けて滑っていたが、夢中になってお漏らししたことも…
次はゴムのスキー靴で、親戚の定志さんのスキーを履いて中学の県大にでたこともあった…
高校へ入って皮のスキー靴とカザマの板を買ってもらった…結婚してからも子供たちを毎年スキーに連れ出していた…子供の成長に合わせてスキーも買い替えてきたが、今残されているものは大人用の物である…家内のスキーは腰のヘルニアを患い、スキーができなくなって、既に処分済であるが、子供たちの分はそのままだった…
これは私が社会人になってから、自分で買って使っていたものです…
学生時代にバイトして買ったスキー靴は革製ではあるが、紐締めてではなくバッケン式に進化していた…そのころ盛岡の山田スキーの親父さんと仲良くなりグラスファイバー・スキーを一本もらった…44年に秩父セメントに入社してもそのスキーを履いていたが、ボーナスをもらいアメ横で憧れのメタルスキーHEAD360を手に入れた…このスキーは新雪に最適で、少し後傾気味で滑るとスキーの先端はふわりと雪面に浮いてくれるので、楽しかった…
この靴は、会社の同期で蔵王に出かけた時、宿の若旦那が使っているのを見て、家内の親戚の紹介で買い求めた…イタリア製のサンマルコである。
これは義弟が履いていたサロモン製の靴です。
その前はカベール(caber)製の靴を使っていたが、今回箱を開けてみたら合成樹脂が風化してボロボロに朽ち果てた…当時開発された樹脂の劣化に関しては、充分な検証がなされていなかったものと思われる…
それに比べるとサロモン(SALOMON)の靴には、それほどの劣化は見られなかったが、履いてみると少し合成樹脂が硬化しているような気がした…それにしても使う人もいないので、処分することにした…
これは息子に買ってあげた靴です。
当時最新鋭のダイナフィット(DYNAFIT)製の靴で、息子は一、二度くらい履いたが、その後体調を崩してスキーはできなかった。三階の私の部屋の天袋から出て来た…
何しろ熊谷の暑さは凄いし、そんな中で何十年も保管されてきたので、やむをえまいが、履いてみようとしただけで、劣化していてポロリと欠けてしまったのです…
これは、娘に買ってあげたスキー靴です。
娘の足のサイズも大人になったので、しっかりしたスキー靴を買ってあげた…
流石にサロモン(SALOMON)、大した劣化もせず、すんなり履くことができたものの、靴底の滑り止めのパーツがボロボロと崩れた…
娘は、この靴を殆ど使うことがなかったので、まだ真新しく勿体ない気もしたが、もはや断捨離の対象となった…
子供が小さい頃から、正月の家族スキーは恒例であったが、今思えば義弟が一緒に行ってくれたから継続できたことだ…そんな子供たちに父親がスキーをやっていた証を残しておこうと思い立ち、SAJのバッジ・テストを受け始めた…
二級は谷川で受け、一級より上手い奴がいたとの講評を聞いて図に乗ってしまった…一級は2回も落とされ自己流の滑りを思い知らされることになったが、東京都連の板橋で取った…
それから準指導員を目指して都連の研修会にも参加し準備した…その時に買い求めたのが、この靴ラング(LANGE)のファントムである…
しかし、昭和53年の夏に秩父へ転勤となり、埼玉県スキー連盟で受験した。
この靴もラングの後継モデルであるが、靴の材質は変わっていた…これは大学の後輩G君が私を真似てラングを買い、履いてみたらどうしてもフィットしないと持ってきた…
試しに履いてみたら、私の足なら大丈夫そうだったので一万円で譲り受けたものです…
その後、雪上でも使えることが判ったが、最初のモデルでは靴底に全く雪が付かなかったのにこの靴ではダメでした…
初期のラングは、カナダでパルプを移動するときに敷かれていたラバーと同じ材質だったそうだが、公害問題で製造できなくなったという…
三階の天袋からスキーウエアとスキーパンツも出て来た…ウエアは息子に一度貸したことがあるが、このスキーパンツは、まだ履いた覚えがない…
フェニックス製のスキーパンツで中々の物だ。
試しに履いてみると、どうしてもお腹のホックがかかりません…
脱いで確認してみると、胴囲ー78とあった…
現在のウエスト85㎝では、どうにもなりませんね…でも買い求めた時には試着しているはずなのですから、これが履ける時代もあったのでしょうね…とほほほーです…
また、スキーの手入れをする小道具とスキー手袋も出て来た…オガサカのスキー・グローブはまだ十分使えそうだ…バックは家内からもらったものだが、中にはTOKOのワックスとスキーの滑走面を平に削り取るスクラッパーが三つ入っていた…
当時は、こんなにスキーを可愛がっていたんですね~
都連板橋のスキー連盟の研修会に参加し、準指を受ける準備をしてきたが、昭和53年に秩父に転勤となり、その年は受験できなかった…
生産部のTさんにマルタケ自転車の社長が秩父でスキー連盟に関わっていると聞いて訪ねた…そこで中心となって活動されていた上石先生を紹介していただき、準指受験の望みがつながったのです…秩父市のスキー講習会に参加し、滑りの方は何とか認めてもらえたようだが…
地元のスキー連盟に何んの貢献もしてこなかった新参者が、急に準指を受験できることを周りの仲間から嫉まれたようだった…
これは少々自慢話になってしまうが成績表である…当時『生産管理情報システム』の設計プロジェクトに関わっていて忙しく、二人の子供も小さかったので、あまり練習に参加できないと思い、筆記試験だけは勉強しました…実技の方は合格ラインの70点以上をクリアできた…
このセーターは当時のレーシング用にデザインされたものです…確か秩父市内のアザミ・スポーツで買い求め、準指合格の証としてもらったSAJのワッペンを縫い付けた…
ただ、このセーターもあまり着用するチャンスはなかったように思うし、これも断捨離しがたい一品ですね…
このラング(LANGE)には思い入れがあり、何とか履けないかと試してみた…
ところが、ブーツが硬化してしまったのか、自分の足首の方が老化して柔軟性を失ったのか、中々足入れできなかった…
そこでブーツをベランダに出し、お日様で暫く温めてたら少し柔らかくなってきたと思えたので、再びトライしたら足入れできたのです…
このラングのインナーブーツにはガムパッドが仕込まれていて、履いている間に足の形に合わせて変形する性質があるのだが、長年放置してきたのでフィット感は失われているようだ…
G君から譲り受けたラングも足入れできた…
こちらのラングのインナーにガムパッドが入っていないので、購入した時のままである…
ですから、むしろこちらの方が履いた時の違和感がなく、まだ使えそうだ…
今後、スキーを滑るチャンスがあるかどうかは分からないが、暫く手元に置く事にした…
今でも秩父セメント時代のスキー仲間が声をかけてくれ、熊谷にやって来ては呑み会を開いてくれます…そして『緩斜面を滑る会』を作りスキーに誘ってくれます…夏場に少し鍛錬して連れて行ってもらおうかな…
もしもそれが叶わなくても、別の世界に行くときには足に馴染んだラングを履いて、ゆったりとしたシュプールを描きながら滑って行きたものだと思っております…そこは三途の川かも知れないが・・・
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名無し (日曜日, 12 12月 2021 23:48)
始めまして、兄貴とお呼びさせて下さい。捨ててはいけません!自分も初期ラングファントム、バンシーといまだに無理して履いてます。足に靴を合わせるではなく靴に足を合わせる時代でした、よくラング足と言ってタコが出てくればイッパシ。と言われるぐらい足が痛くて当たり前という時代でした。エッジのキレはこの靴に勝るものはありません。48年目ですが持ちますねぇ。