秋はジャズフェスティバルの季節で、例年各処で開催される。昨年は横浜ジャズに参加できなかったが、今年は3連休の8日に行く事できた。
熊谷駅のホームで息子の友人と待ち合わせ9:13の湘南新宿線に乗り、横浜駅で地下鉄に乗換え「みなとみらい」へやって来た。
お目当てのステージまでは1時間ほどあるが、いつもお食事処が中々決まらない。
今日は暑かったので『蕎麦を食べたい』私が言い出し、駅ビル6階の蕎麦屋に入った。
私は蕎麦の五段盛りを頼んだ。お蕎麦の具合も量も十分で大満足であった。
<横浜みなとみらいホール>
ここ『みなとみらいホール』には、大ホール、小ホールなど、いくつかのステージがあるようだ。
まずは大ホールでお気に入りのトランッペッターが3人出演するので、そこへ向かった。
<ディジー・ガレスビー生誕100年>
MCの高瀬氏は、トランペッター『ディジー・ガレスビー生誕100年』を祝って、彼のナンバーを演奏すると切りだし、その功績を次のように語った。
アルトサックス奏者のチャーリー・パーカーと共に、モダン・ジャズの型となるスタイル「ビバップ」を築いたと功労者の一人としてジャズの歴史上で讃えられ、ラテン・ジャズを推進させたアーティストとしても知られる。
そして5人のトランペッターを擁するバンドの演奏が始まった・・・
<5人のトランペッター>
高瀬龍一/たかせりゅういち (tp)
岸 義和/きしよしかず (tp)
中村恵介/なかむらけいすけ (tp)
松島啓之/まつしまけいじ (tp)
類家心平/るいけしんぺい (tp)
緑川英徳/みどりかわひでのり (as)
小池 修/こいけおさむ (ts)
岡部洋一/おかべよういち (per)
加納樹麻/かのうじゅあさ (ds)
中村健吾/なかむらけんご (b)
椎名豊/しいなゆたか (p)
ディジー・ガレスビーは、この曲がったトランペットで演奏していたという・・・
ビバップ (bebop) は、1940年代に成立したとされ、モダン・ジャズの起源はこの音楽にあるというのが、最も一般的な見解であるいう。
となると、私が生まれる前にモダン・ジャズの起源が形作られていたことになる・・・
このビバップは、演奏家たちがお店での仕事を終えてから、自分たちだけの楽しみのために集い、そして自由にジャムセッションをやっている中で自然に生み出されたということだ・・・そのライブの雰囲気によりソロのプレイヤーが織りなす和音の妙技は、ジャズライブの大きな魅力だと私は感じている。ですから、今度はどんなアドリブが入るのかと、同じプレイヤーのライブを何度も聴きたくなってしまうのだ・・・
ガレスビーは長命で『斑尾ジャズフェス』にも来日しているそうだが、岸さんは、その彼と共演したことがあるいうベテランである。写真のガレスビーの頬が大きく膨らんでいるが、頬の膨らむ症状の病名が『ガレスビー病』と呼ばれるほどであったという・・・
ところが、最初にソロを取った松島啓之さんの頬は殆ど膨らんでいないが、大ホール一杯に鋭い音色を響かせた・・・私は、蕨駅近くのライブハウス『Our Delight』のベランダで 一服していた松島啓之さんと会った・・
そして、彼のひょうひょうとした演奏スタイルが好きになってしまった。
この類家心平さんは、若手随一のテクニシャンだと私は思う。最初に彼の演奏を聴いたのは『隅田ジャズフェス』だったが、その迫力に圧倒されてしまった・・・
彼の得意ジャンルは、どちらかというとフュージョン系のジャズだと思うのだが・・
彼はいつも真剣勝負で、左の頬を破けんばかりに膨らませて、全身の力を込めて演奏する姿に思わず息を止めて見入ってしまう。
この写真は『鈴木良雄とジェネレーションギャップ』のライブシーンである。私は前橋の『Gフェースカフェ』で力強い中村恵介さんのトランペットを聴いた・・・
その時、彼は『モーションブルー横浜』で活動していると言っていたから、今日は地元でのライブであろう。でも、ライブが終わってから息子に教わるまで気づかなかった。
<2nd セット>
ガレシビーは、初めてラテン系音楽をジャズに取り込んだ人として知られている。
彼の功績により、今やラテンのリズムを刻むジャズがどこでも演奏されるようになった。
それからMCの高瀬さんは、第2ステージではガレシビー作曲のラテン系ジャズを演奏すると話し、演奏がスタートした・・・
私は息子から手渡された双眼鏡でステージを覗いた。するとパーカッションを叩く岡部洋一さんの顔が飛び込んできた。隣の息子に双眼鏡を渡し、岡部さんが居るよと囁いた。
一曲目が終わると同時にスペシャルゲストとしてパーカッションの岡部洋一さんが紹介された。今やラテン系ジャズが広く演奏されるようになり、そのリズムに欠かすことのできないパーカッション奏者として人気のある岡部洋一さんは引っ張りダコなのである。
今日は『ディジー・ガレスビー生誕100年』を特集したセットリスト構成で存分にガレシビーのジャズを堪能できた。それに、ジャズ入門講座のようにビバップとモダンジャズ、
そしてラテンジャズの事などを学んだ・・・
このようなことはジャズフェスならではであろうが、ガレシビーをリスペクトするトランペッターが5人も勢揃いしたライブを聴くことができた。勿論、他の演奏者も素晴らしく、聴き覚えのある『チュニジアの夜』の演奏は深く心に残った。
『横浜ジャズプロムナード』の会場は市内の広範囲に散在する。ですから最初の受付で参加券と交換にワッペンが手渡される。
そのワッペンを身に着けていれば、どの会場にも出入り自由というシステムで運営されている。色んな会場を渡り歩くのも楽しみの一つではあるが、時間が掛るので同じビルの小ホールへと向かった・・・
<土田晴信(org)オルガントリオ>
土田晴信/つちだはるのぶ (org)
小暮哲也/こぐれてつや (g)
二本松義史/にほんまつよしふみ (ds)
土田晴信氏は、横浜出身のハモンドオルガン奏者としてアメリカで11年・ヨーロッパで3年の活動を経て帰国。シカゴの黒人街での演奏経験を通してファンキージャズやソウルジャズを主体に自己のオルガンバンドなどで活動しているという・・・
小ホールでは既に演奏が始まっていた。席について間もなくして、何だかうっとりとした気分になってしまい、ついうとうとしてしまった・・・
そして曲が終わると目が覚め、次の曲を聴いている内に、またうとうとしてしまうのだ。何の緊張感もなくリラックスさせてくれるのは、オルガンの優しい音色のせいなのであろうか・・・後で聞いてきたら、この現象は私だけではなく、一緒に行った息子や友人もやはり、うとうとしてしまったと漏らした。
お目当てのステージが次だったので、最前列正面に席を確保し、そのまま席だ待った。
するとスタッフたちが、そそくさと次のステージの準備に取り掛かった。そしてプレーヤーたちも自分の楽器の音響調整をしたり、他のプレイヤーとの音合わせを始めた・・・
その時、松島啓之さんと眼が合い、軽く会釈を交わすことができた。
そして最後に駆け付けたのが、ベースの須川崇志さんだった。慌てて準備を始めた彼に、リーダーの蜂谷さんが『間に合って良かった』と声をかけた・・・
私は何度となくライブに足を運んでいるが、通常こういったリハーサルは絶対に観客に公開されることのない場面なので、このステージを見上げながら希少な体験をした。
<次ナルJAZZ問答>
蜂谷真紀/はちやまき (vo,voice,p)
松島啓之/まつしまけいじ (tp)
類家心平/るいけしんぺい (tp)
須川崇志/すがわたかし (b)
本田珠也/ほんだたまや (ds)
横浜ジャズプロムナードの紹介ページに次のように紹介されていた。『 次ナルJAZZを牽引する強力な5個性。全員が主役のスリリングなユニットです。 声+2トランペットによる三管アンサンブル、構築と自由のせめぎあい…さあ5人の行方はいかに?見逃す手はありません!』
この紹介記事の内容は、セッションを聴いてみて初めて理解できような気がする。
『次ナルJAZZ』の意味するところは・・・
彼らはこれまで聴いた事のないような演奏を繰り広げてくれた。
特にボーカルの蜂谷真紀さんには、まるで神が乗り移ってしまったかのような・・・
どうにかなってしまったのかと聴衆が心配しながら聴いていると、放心状態での歌が極限に達し、そして曲が終わると我に還るというような熱演だった。
聴いていて少し疲れを覚えた・・・
蜂谷真紀さんの作曲で構成されたステージの次世代のジャズに対する熱い思いのこもった若いプレイヤーの演奏には、ハラハラドキドキもさせられたが、訴えかけて来る何かを感じている自分がいた。
演奏が終わりステージ挨拶の後、松島啓之さんが私に手を差し伸べてくれた・・・
息子も喜んで握手を交わしながら、『蕨でお会いしました』と話しかけていた。私は隣にいた類家心平さんとも握手ができた。
私の目の前に置かれた松島さんの譜面台が片付けられて、やっとベースの須川崇志さんの顔がみえた。ベースを仕舞っていたが、声をかけると振り向いたので『先日熊谷でお会いしました』と呼び掛けると、手を止めて『峯さんの時か』を応えてくれた・・・こうしてプレイヤーと接触できるのもライブの楽しみである。
会場の外へでると夕刻であった。息子の友だちは『もう三ステージも観られた』と満足そうに話した。次の『横浜開港記念館』へは、前回も少し時間が掛ったので、タクシーで行こうと提案した。何とかタクシーを捕まえ開演前に到着できた。既にほぼ満席であったが、私は最前列まで進んだ。すると運よくステージ左端の一列目と二列目に座席を確保することができ、ほっとしながら開演をまった。
<鈴木良雄(b) BASS TALK>
鈴木良雄/すずきよしお (b)
井上信平/いのうえしんぺい (fl)
野力奏一/のりきそういち (p)
岡部洋一/おかべよういち (per)
〈鈴木良雄作曲、野力奏一編曲〉
カイト(大空を舞う鳶をイメージ)
筏衆(木曽川を下る筏を流す人々)
カヌー(カナダの雄大な河の流れ)
山の輝き(木曽御嶽山をイメージ)
モネ(モネの絵画水連をイメージ)
ロンバルディアの風(イタリア)
新宿(学生時代の新宿をイメージ)
私は、この『BASS TALK』のライブを聴いてジャズが好きになった・・・
『"BASS TALK" は結成以来16年目に入りました。僕の曲だけを演奏する我儘バンドですが、メンバー皆の支えがあったからこそここまで来れました。新曲も演奏しますので聴きに来てください!』 と紹介されていた・・・
鈴木さんは『新しい楽曲を書き溜めて来たので、近いうちにアルバムにしたい』と切り出した・・・これまた楽しみなニュースである。
この『ロンバルディアの風』は、好いベースを探しに欧州に出かけ、イタリア北西部のロンバルディア地方のクレモナで名器を見つけ時、その地方の印象を曲にしたと話した。その時のベースは200年前に制作されたものですと言って、手にしたベースをクルリ回して見せた。
そして名器はアーティストも丁寧に扱うので長持ちするのでしょうねと話したが、私は浦和の『Cafe Tone』のライブで真近で観ながら、そのベースの音色を聴いたことがある・・恐らく全国ツアーには持ち出さないベースだと思う。
いつもながらChinさんの駄洒落も楽しいが、『ジャズでフルートを吹ける人は少なく、井上信平はアルト・フルートも吹ける世界的な名手です。』と紹介されると、すかさず信平さんが『アルトないとでは大違いです。』と切り返すと観客が大爆笑した・・・
突然の信平さんのギャグの逆襲が、今日一番うけたのかも知れない。
今晩のライブは、この写真よりも好いアングルで、4人の演奏する様子が良く見える席であった。この4人は16年も一緒やっているので、絶妙なバランスで音が調和し、心穏やかに聴くことができる・・・私は、寝つきが悪い時などアルバム『Dancing Luna』を聴きながら床に就くと、いつも最後の曲を聴く前に寝入ってしまう。私の睡眠導入剤だ!
演奏が終わったのでステージに近寄ると、4人揃ってのステージ挨拶の前だったので、私は罰が悪い思いをした・・・それでもステージを引き上げる時、鈴木さんが手を伸べて握手してくれた・・・野力さんも岡部さんも・・・
息子が岡部さんのDVDとCDを求め、サインをもらうために待った・・・
女性の方が、携帯で連絡を取ってくれている様子だが、中々現れなかった。
ドラムやパーカッション奏者は、何種類もの楽器を扱うから後片付けに時間が掛るのでしょう・・・暫くして岡部さんが現れ、息子と会話しながらサインしてくれた。そして『これからステージがあるので』と言い残し、女性を伴って出て行った・・・あの若い女性は、奥さんなのだろうかなどと・・・
後ろを振り向くとChinさんがジャズの本にサインをして上げていた。それが終わるのを待って『ステージの邪魔をしてしまい申し訳なかったです』と謝ると『何ともないよ、遠いところありがとう』と言ってくれたのでほっとした。
横浜駅へ行こうと地下鉄への入口を探し、会場のあるブロックを一回りしてしまったが、会場近くにあった駅から地下鉄に乗った・・・
横浜駅で食べた『とんこつラーメン』が美味かった・・・ビールも・・・
心も満腹で湘南東京ラインに乗ったら、うとうとしていまった。時々目を覚まし、手前の行田駅を通過したことは覚えていたのですが・・・
熊谷駅で息子に揺り動かされ目が覚めた・・・
一人だったら終点の籠原までのケースでしたね。救われました・・・
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飛世政和 (火曜日, 14 11月 2017 06:18)
小南さん 久々に訪問しました 兎に角凄い ここまで成長したとは?�
友人にも 紹介しておきます����������星10個あげます
え?チョコレートがいい? ではお目にかかったとき�
渡部雅幸 (火曜日, 14 11月 2017 18:40)
小南さん、
呼んでくれたら、横浜でビール付き合ったのに・・・
またの機会によろしくお願いします。