地元熊谷の歌人 峯岸 あい 逝去 2018.3.9

紙塑人形師 人間国宝 鹿児島寿蔵 の短歌の愛弟子

 火曜短歌会忘年会(H25)右端
 火曜短歌会忘年会(H25)右端

 平成30年3月10日の朝、熊谷短歌会の藤井さんから電話が入った…昨日9日に 短歌の峯岸先生が亡くなられたとの訃報であった…何せ、自宅の母屋の昼食後に離れのベットに横にたわり眠りに着いたままの大往生だったとのことでした…昭和4年生まれで88歳でした。

 私は、平成24年4月から熊谷市中央公民館で月2回開かれる「火曜短歌会」に通い始めた。この会は、峯岸あい先生が指導してくださり16名の短歌を楽しん でいる市民が参加していた。短歌を長いこと詠んでこられたベテランの方が多く、ご年配の方々ですから私などでも若輩ものでした。

 峯岸先生が女学生のころ、戦時中に熊谷に疎開してこられた鹿児島寿蔵(人間国宝の人形作家・宮中歌会初めの選者・歌人)の校正の手伝いなどをしながら、お弟子さんのように可愛がられたと伺った。そんな峯岸先生は、「火曜短歌会」の他にも「芙蓉短歌会」、「東雲短歌会」、「かごはら短歌会」の指導者でもあった。これらの短歌会の会員が1年間の成果として作品を持ち寄り年に1度歌集「篁(たかむら)」を発行している。

 私が今もなお短歌を続けられたのは、おおらかな峰岸先生のご指導のお蔭だと感謝している。先生のご依頼でみなさんの詠草を予めプリントして持参する役目が与えられ、短歌会には休まず参加し、先生の補佐役として会の司会を楽しくやらせていただいてた。峯岸先生は、毎回詠草に赤ペンで添削したプリントをお持ちになり、会員二名の感想のあとに講評してくださった。最後に詠み手が伝えたかった想いを丁寧に聴いてから、作者が短歌に込めた「想い」を尊重して再び添削してくださるのです。こうして詠み手が主役の短歌会が進んで行きました。ところが、時として作者のお話が発展し会全体が談話サロンの様相を呈することもあった。火曜短歌会には、既にお一人暮らしの会員の方も多く、こうした楽しい語らいを大事にして行きたいと考えておりましたが、それでも時間の都合もあり止む無く「ありがとうございました。」と締めくくってしまうこともあった。そんな時は、申し訳ないことをしたと心苦しく思い反省しておりました。

 こうして私が皆さんの詠草を整理するようになってからの「火曜短歌会」の峯岸先生の詠草を抜き出してみました。 

歌人 峯 岸  あ い 遺詠

平成30年3月9日

(西暦下2桁)

13年11月12日

  シルバーセンターより派遣の四人手際よく庭の草むしるたけなはの秋

13年12月17日

  堀り上げし馬鈴薯を天びんにて運びしよ 父に代れる仕事の一つに

14年1月14日

  足萎えて遠出叶はずも草もみじ家山もみじの彩見て足らふ

14年1月28日

  小豆粥貪り開く小さき口揃ひし下の歯白さまばゆし

14年2月11日

  身のこなし儘ならぬ迄に着ぶくれて師走の庭に曾孫遊ばす

14年2月25日

  三センチ程につもれる初雪の道を二百歩わが今日の枷

14年3月11日

  落雪の嵩む軒端にひたち来てつぐみ来て遠く雉子の尾も見ゆ

14年3月25日

  曾祖母に溺愛されしわれにして介護つとめき嫁ぐ朝まで

14年4月8日

  東大寺奉納の心経謹寫して見上ぐる朝空雲一つなし

14年4月22日

  酔芙蓉の花殻たき代に刈りたきも八十路のわれの力及ばず

14年5月13日

  君の歌集「条理の里」の五百余首戦中戦後詠共感を喚ぶ

14年5月27 日

  寿蔵のうた裾にそめたる訪問着まとひし夫人近より難し

14年6月10日

  麹作りを教えてくれと娘に言われ老いの役割りあるをうれしむ

14年6月24日

  トマトの支柱立てて朝の日を浴びぬ体内時計を整ふるべく

14年7月8日

  泥染なき別府の麦わら梱包され東北の飼料に買はれゆくとふ

14年7月22日

  貝割れを掲げポツポツ芽生へたりおくての枝豆四日目にして

14年8月12日

  手をふりて茅の輪を越ゆる一歳児「みのり」一面に載りてはれがまし

14年8月26日

  台風一過薄日さし初むる秩父路へ くりだす四世代十人うから

14年9月9日

  除幕式の日の賑はいの蘇る久久に龍淵寺の歌碑を訪ねて

14年9月16日

  篠竹は土用に刈れば絶ゆるとふ土用明くるにまだ四日あり

14年10月14日

  「麦を吹く嵐」点字歌集を舌読しうたを励みぬ懶盲の友

14年11月11日

  獣類に近しと『土』の人物像漱石の序文十頁に及ぶ

14年12月2日

  農道の整はぬ戦後掘りしいも天秤にて運びきわれのつとめに

14年12月16日

  九州は遠く告別式に連なれずはらから実家にて弟を偲ぶ

15年1月13日

  わが居場所定まりている友の家農の来し方語り飽くなし

15年1月27日

  先生の『新冬』三十首書寫したり正月二日なすこともなく

15年2月10日

  上りがまちの火鉢の焚き火にぬくみ居しちちをし思ふ寒き夕は

15年2月24日

  積雪の予報外れて庭前にとびこし雉子の尾羽根きらめく

15年3月10日

  如月も終らむとして裏山に聳ゆる槻の枝にぎにぎし

15年3月24日

  軒下におおいぬふぐり咲き初めて老のこころを奮ひ立たすも

15年4月14日

  たい焼きをほほばり暖炉に温まれり八十五歳わがバースデー

15年4月28日 

  百三歳日野原先生の作詩になる「平成のうた」早く聞きたし

15年5月12日

  若き日に寿蔵に師事得し恩恵に公民館の講師任さる

15年5月26日

  大槻の伐られて広き裏庭に切り株並べミニアスレチック

15年6月9日

  古タイヤ切り株あんばいよく並べ雑木伐られてなりしあそび場

15年6月23日

  馬鈴薯を掘りて二うね胡麻播きぬ家に在りてこそなし得るわざぞ

15年7月14日

  らっきょうは体によしと酢づけして年に欠かすなく姉は賜ひき

15年7月28日

  聖天山の貸日傘さし大映し「暑いぞくまがや」の取材にあひし孫

15年8月11日

  別府沼のキャンドルナイトに一年の孫のミュージックベルの演奏をきく

15年8月25日

  公民館のロビーの照明ほの暗きにフラダンス踊る「ブナの会」の五人

15年9月8日

  東北に売られゆくとふ麦わらの白き梱包如何にも商品

15年9月15日

  「わらしべ」の入園児ははだしにて遊びをり中のひとりぞ孫のひろとは

15年10月13日

  乙女女のおりまとひし紺絣半切にして八十路の常着

15年10月27日

  桑園が菜園となり半世紀いま発電のパネルすゑらる

15年11月10日

  ねたきりの友を日課に訪ふ吾に恩恵ならん脚のつよきは

15年12月1日

  生り年の柿は色よく形よく枝のたわわに地につくばかり

15年12月15日

  戦死の父に代りて励む農の日を慰めくれきうたの学びは

16年1月12日

  皮むきて吊るしし四棹の鉢屋柿風の吹かねば次々と落つ

16年2月23日

  ニッケル貨に混り銅貨のあまたあり新年迎へし金守稲荷

16年3月22日

  余りにも記憶のおぼろにたじろげり認知症の検査青年の前に

16年4月12日

  月に三度五の日を集ふ五日会嫁らは公民館にてうたを学びぬ

16年4月26日

  養豚にもえたる遠き日よみがへる豚舎の跡地の桜

16年5月10日

  明日の歌会に具へてうたを作らねば思ふ折しも鋭く雉子の啼く

16年5月24日

  入院の夫に付添ひの日も歌会は休むなかりき送迎うけて

16年6月7日

  「此の辺が頭」と指さす孫嫁に掌を添へ祷る無事安産を

16年7月26日

  「よろづよに」寿蔵自染の風呂敷を眺めつつ思ふうたの学びを

16年8月9日

  隣家のもちの借景映ゆる窓数日にして朝顔ふさぐ

16年8月23日

  紙塑人形「まどろみ」は片手のこぶし大鑑定団に囲まれて在り

16年9月13日

  うたを学ぶ冥利か熟語の読み叶ひ認知症の疑ひのはる

16年10月11日

  麦畑の彼方するどく啼く雉子老のこころを奮ひたたすも

16年12月13日

  犬曵きて散歩の老婆今朝も行く腰曲がれるも足許軽く

17年1月12日

  皮むきて吊るしし四棹の鉢屋柿風の吹かねば次々と落つ

17年2月28日

  追いはぎの民話伝へて久下土手にひるみ建ちをり権八地蔵

17年3月8日

  ニッケル貨に混り銅貨のあまたあり新年迎へし金守稲荷

17年3月22日

  余りにも記憶のおぼろにたじろげり認知症の検査青年の前に

17年4月11日

  ほどほどをわきまえぬ儘野良励み八十路の半ば腰二つ折れ

17年4月25日

  「うたありて」寿像自染の風呂敷は木綿の大判朽葉色にして

火曜短歌会忘年会(H24)前列中央
火曜短歌会忘年会(H24)前列中央

 峯岸先生の豪快かつ緻密な指導を頂いた会員の作品の多くが、熊谷短歌大会に入賞した時には「火曜短歌会」を誇らしく思った。

 こうした自由な雰囲気から生まれた一年間の会員の成果が綴られた「篁」は、短歌を愛する私達それぞれの大きな足跡となってきた。

 お互いに健康に注意しながら頑張って、まずは記念の「第二十号 篁」の発行を目指そうと思っていたのですが、時折、峯岸先生も体調を崩され、数週間のお休みが続くようになった。

 そして平成29年4月25日を最後に峯岸先生は短歌会をお休みすることになり、第18号篁を発行することは叶わなかった…

 しかし、夏苅さんの熱意の籠った呼びかけが効を奏し、平成10年4月1日に発足した「火曜短歌会」は、熊谷短歌会金子会長を講師に迎え21名の会員で再スタートできたことを峯岸先生にご報告すると同時に、会員一同、これまでのご指導に心から感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

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コメント: 1
  • #1

    コスモス (火曜日, 13 3月 2018 22:21)

    金子兜太先生に続かれて峯岸先生もお亡くなり淋しいです。直接のご指導は頂いておりませんが、長く鹿児島先生と関われた方と噂や本などで知りました。終戦後、紙なども不足していた頃、鹿児島先生を中心にして短歌を学ぶ熊谷の若い人たちが「関東アララギ」という本をだされたとか。土屋文明先生や、三国玲子さんなども見えられ、熊谷に短歌の文化が開いたこと、遠い日のロマンにおもいをはせて、、現在も峯岸先生の御心は金子貞雄先生に引き継がれ多くの方々が短歌を学んでいる熊谷を誇りに思います。