秩父セントOB会にて

‐ オレナハワイアンズは健在なり (14.5.15)

バンマスと私(原幹事撮影)
バンマスと私(原幹事撮影)

 5月15日に神保町の日本教育会館で秩父セメントOB会が開催された。合併を繰り返し現在は太平洋セメントとなっているが、やはりOB会は元の会社の仲間と集うのが好い。93歳の義母が入退院を繰り返しいたので、参加することを躊躇していたが、直前になって原幹事にメールでお願いして参加した。恒例の総会が終了して立食会場に入って驚いた・・・何んとそこには昔の”レオナハワイアンズ”がずらりと勢揃いしているではなか・・・メンバーは10人程であったが昔会社でお世話になった大先輩が3名おりました。それにフラダンサー5名を加えてのライブがくり広げられ懐かしい思いで見ていたら、熊谷工場の独身寮の頃を思い出した。

 独身寮には20名ほどの若者が暮らしていたが、4時半に会社が終わると大してやることもなく時間を過ごしていた。当時寮長だったM氏が熊谷市の中央公民館の青年学級へ参加しようと皆を勧誘してくれた・・・

 そして秋ごろになって『独身寮主催でダンパー』をやろうということになったのである。ダンパーなら大学祭でも開催したことがあったので、色々と策をめぐらし中央公民館の大ホールで開催する運びとなった。

 その時お願いしてステージに立ってもらったのが”ナレオハワイアンズ”なのである。当時現役だった先輩たちが仕事を終えてから練習して見事に盛り上げてくれたのを思い出していた・・・実はダンパーの収益を元手に独身寮生で1泊2日の温泉旅行で”打ち上げ”やった覚えがある。そのことをH先輩に話したら『演奏の謝礼をもらってないぞ!』と苦笑しながらポンと肩をたたいた・・・

ベーストークと私(鈴木良雄氏)
ベーストークと私(鈴木良雄氏)

 このOB会で楽しみにしていたことがもう一つあった。それはスキー仲間でもあるS先輩とジャズの話をすることである。先輩は早稲田のジャズ研でしたが会社にいるころはまだジャズにあまり興味がなかった。ところが息子がジャズにはまり込んで一緒にジャズライブに出かけているうちに私もジャズにはまってしまった。

 2月の寒い夜に熊谷市郊外の小さなライブハウスで『ベーストーク』のライブを聞くチャンスがあった・・・このことを去年のOB会でS先輩に話したら、何んと早大ジャズ研でバンマスの”CHINさん”とは友達だというではないか・・・鈴木良雄氏を愛称CHINさんと呼ぶ間柄だった。それ以来、CHINさんのライブには何度となく足を運び、その都度”ジャックダニエル”を持って行くようになった。私は『ベーストーク』のジャズが好きで眠れない時は、睡眠導入剤替わりにCDをかけたまま眠ってしまう癖がついてしまった。