義母死にたもう
ー 激動の昭和を生き貫き93歳の生涯(14.7.2)
○ 朝餉終へ箒で廊下を掃き進む 九十三歳義母がおつとめ
○ ちゃぶ台に『日経』広げ記事を読む亡夫が日課を真似る義母かな
○ 肺病みてぜいぜい喉を鳴らしつつ 手摺を掴み義母は登り来
○ 午後三時洗濯たたみ籠に入る 親子のお茶を楽しみとして
○ 仏壇に供へし膳をお下げして 湯浴みて暮れる義母の一日
○ 秋来れば小柄な義母の着ぶくれは 風邪用心と初夏まで続く
○ 義母の肺にすじ雲薄く影落し 春の彼岸に入院となりぬ
○ 初めての入院嫌がる義母の眼は『どうして此処に』と吾に迫り来
○ 病室で『家に帰る』と繰り返す義母は寝台に点滴しつつも
○ 退院し水分拒み食細り四日暮して入院となり
○ 午後三時義母は寝台にプリン食み『美味し美味し』といつも言いにき
○ 見舞ふごと吾に気遣ひ『ありがとね』と手を振る義母の腕の細さよ
○ 骨折の痛み抑へる劇薬に義母には亡夫のまぼろし写りぬ
○ 息止まり幽かな脈の義母の手の温もり失せる刻(とき)の短さ
○ 人形に義母の名を書き輪をくぐり祈りし甲斐なく義母死にたもふ
○ 朝の茶を供へて祈る義母逝きて主なき部屋に線香ゆらぐ
○ 夫を看取り一年経ちて義母逝きぬ大正・昭和・平成を生き貫く
<義母の葬儀お蔭さまにて無事終了>
みなさまからお悔やみと励ましのお言葉をいただきまして、誠にありがとうございました。お蔭さまにて9日の御通夜、10日の告別式を無事に終えることができました。張りつめていた緊張が解け、暫しぼんやりしておりますが、気を取り直し明日から葬儀の残務に取り掛かります。
○ 思い出を歌にしたため謝意を込め棺に納め義母に手を合す
故人松本くには、大里郡江南町柴に木村家の長女として生まれ、母(42歳)を早く亡くし、8人の兄弟の末の妹はまだ4歳であった。「ねえちゃんに母かわりに面倒をみてもらった。」と兄弟たちは口々に話していた。故人は小柄で農作業より和裁の仕事を目指しお師匠となった。幸い呉服屋の夫と結ばれ、夫が外商してきた着物を家庭を守りながら和服の仕立てを根気よく続けてきた。口数は少なく大人しい人であったが、芯が強く忍耐強い人であった。外に出歩くより家に居ることを好み、和裁の仕事を愉しんでいた。そんな故人を兄弟たちは、ことあるごとに訪ねてきてくれた。
呉服屋の商売を止めてから始めた”組みひも”と”水墨画”にも熱心に取り組み忍耐強さを物語る作品を数多く残している。
今年の3月肺炎での入院が初めてといゆうほど健康に過ごし激動の昭和を生き貫いた93年の生涯であった。