高校同期のお花見会 2018.4.1

 平成30年4月1日 新宿の三平にて恒例の「湯沢高校と湯沢北高のお花見会」が開催された。「高校のころの仲間たち」のDVDを大谷先生にお届けしたしたら、大層喜ん湯沢高校の校歌を大声で歌ったとのお便りが届いた.そこで、今回のお花見会の様子を大谷先生にお伝えしようとDVDを作成した。

 高校1年 文化祭参加「ビルマの竪琴」
 高校1年 文化祭参加「ビルマの竪琴」

 旧姓加藤裕子先生は大学卒業後すぐに湯沢高校に赴任されたようだ。

 私は1年の時に加藤先生の漢文の授業を受けた記憶がある…

 加藤先生にその年の秋の文化祭参加「ビルマの竪琴」の顧問をやっていただいた…この演劇でクラスとして文化祭参加を提案したのは同じクラスの原田さんでした。彼は自ら隊長役を演じたが、私は演出を担当することになった。私のクラスは男子だけだったので兵士役は殆どクラスの仲間が演じたが、大役の水島上等兵は隣のクラスの松野さんに頼んだ…ビルマの村娘役には数少ない女子が協力してくれた…市川崑監督の映画「ビルマの竪琴」で北林谷栄の演じた物売りの老婆役を阿部さんが熱演し好評を得た…写真前列の学生服の仲間が裏方として協力してくれて、クラスの仲間意識を強めることができたような気がする…

 捕虜収容所の兵士が次々と「水島、一緒に日本へ帰ろ!」と呼び掛ける中、水島が黙って竪琴を奏でる名場面は、観客の涙をさそった…この「ビルマの竪琴」のが大好評を得て、横堀町の商工会から追加公演を依頼され出張公演をやったのを覚えている…そんな長閑な高校生活が懐かしい…

 放課後にこの「ビルマの竪琴」の練習をしていると、国語の大谷茂先生がよくやって来ていた…写真中央の背広にネクタイ姿が大谷先生で、隣の白いシャツの方は音楽の大山国雄先生でマンドリンで竪琴の演奏をしていただいた…

  それから数年後に加藤先生の性が大谷に変った…

 私にとって大谷茂先生には忘れ難い思い出がある…高校に入っての初めての授業が大谷先生の国語であった。1年E組のみんなは、大方は初めての顔ぶれのであったが、大谷先生は出席簿を広げて出席をとった。そしておもむろに国語の教科書を広げ、三好達治の詩「あわれっ花びら流れ おみなごに花びら流れ・・・」を朗々と読みあげた…小柄な大谷先生ではあったが、その自信に満ちた声に圧倒されたのを今でも覚えている…

 ところが次の瞬間、大谷先生から矢が私目掛けて飛んできた。「小南、風鐸とは何ぞや」と問いかけてきた。私は「判りません」と応えると烈火の如く「立っとれ!雄勝の秀才が何たることか!」と怒鳴られ私は、まんまと大谷先生のいきにえにされてしまった…みんなからジロジロ見られながら、授業が終わるまで晒し者になったのである…

 部活動の他にも遠足や文化祭、スキー大会などの校内行事を通して先生方の交わりもあった。大谷裕子先生のお便りには、我々の高校時代のころが大谷先生にとっても青春であったと記されていた…そして松野さんが「ビルマの竪琴」の水島を演じた姿が今もどこかに残っていたのであろうか、先生のお便りの中に「松野さんはイメージが変わったようですが…」とあった…

 最早、50年以上も昔のことではあるが、内心ドキドキしながらも女学生の園で北高の演劇部の公演を観にいったことがある。本格的な舞台装置に効果的な照明に驚いた…よほど演劇好きな指導の先生がおったに違いないと、強い衝撃を受けたことを今でも思い出される。そんな空気感を共有した北高の方々と、今日のお花見同期会で杯を交わしている…何とも好いではないか…