鴻巣のポピー畑に花が満開

‐ 鴻巣ポピー畑の写真を朝日新聞が掲載 (14.5.25)

 ポピー畑の写真も朝日新聞に掲載され臨時の駐車場も満車状態となった。このポピー畑は鴻巣市の荒川河川敷きの休耕田・畑に栽培された芥子の花である。その広さを写真で紹介したいと思うのであるが、どんなアングルでそれを表現できるのかを会得している訳ではないので、いろんな角度でシャッターを切った。しかし、何枚撮ってもそれを伝えきること難しい。私が生まれ育った山村の集落にも盆地と言うより小さな扇状地であったろうと思われる土地を開拓した棚田があった。その面積の3分の1にも及ぶほどのポピー畑なのである。

ポピー畑の一角の麦畑
ポピー畑の一角の麦畑

 その一角にも肩身が狭そうに麦畑が青々と茂っていた。私が育ったころは何処でも食料不足の時代であった・・・あの頃は荒れ地になっている田んぼや畑はなかった。手入れをせず荒れたままの畑をみると、『どこその家は怠け者だ』と村中の噂に上ったのを聞いて育った。大切なお米を作る田んぼを荒らすなど考えられないことであった。そんなことを思い出しながら、この麦畑が愛おしくなって写真に収めた。

○ 休耕田のポピーの花に囲まれて 麦青々と踏ん張って居り

 

 私は家内が病んでから食事を作っているが、一つのホリシーを持って取り組んでいる。それはすごく当然のことではあるが、”食物を無駄”にしないこと”もったいない”と思うことである。特に人の掛かった農産物は大事に扱っているつもりだが、時には冷蔵庫の奥底でダメにしていまうこともある・・・

ポピー畑にライブの舞台
ポピー畑にライブの舞台

 今日は日曜日でもありポピー畑の一角にライブの舞台ができ、周りには多くの屋台のお店が出されていた。政府の減反政策としての休耕田もこうしてポピー畑にして観光客の目を楽しませてくれのもありがたいことである・・・また、こうして集まってくる観光客をめあてに特産品やわずかな農産物を販売している・・・私には大きな農業政策も日本の食糧政策もよく解らないが、昔の暮らしと比べると食料不足など想像できない。でも、こんなに広大な休耕田を目の前にすると”このままでも良いのか”という疑問が湧いてくる・・・そしてTPPの行方はどうなるのかと・・・

- ポピーまだ咲かず 寒空には鯉のぼり (14.5.6)

 実は連休の最終日5月6日にこのポピー畑を訪れている。その時はまだ固い蕾で殺風景な景色であったが、遠くに鯉のぼりが連なっていたので近くまで歩いていった。先ほどのポピー畑の遠景に幽かに鯉のぼりが写っていたが、歩くとかなりの距離であった・・・家族は車で追い越して行った。

この日は風もあり寒い一日で、花の咲かないポピー畑の景色が寒さを際立たせていたように思う・・・近くでみると男の子の成長を願う大小さまざまな鯉のぼりが沢山連なっていたが、逆に少子化が続く今の世を連想させられた。多分孫の誕生を喜んで祖父母がお祝いしてくれたものであろうが、その子が成長してお役目を果たし終えていまうと不要となり、そうした鯉のぼりがこうして集められたのではないかと想像したからである。そして私の家にも大きな鯉のぼりがあり、雨の日には縁側に長々と横たわっていて、近所の子と大きな口から中に入って遊んで叱られたのを思い出した。その鯉のぼりは一番上の兄から始まり4人の男兄弟の成長を見守ってくれたもので、一番下の私と長兄とは14歳離れており、おそらく30年ほどは泳ぎ続けたのであろう私の頃には色あせてしまい尾びれは擦り切れていたが、それでも5月の節句が楽しみであった。

○ 鯉のぼり長きロープに連なりて 水面の影の幽かに揺らぐ

 

 一面に咲くポピー畑を目指して来たが、あまりにも寂しい想いをしたので北鴻巣駅の近くにつつじの咲く公園があると言うので立寄ってみた。北鴻巣駅は私がローカル線で通勤し始めたころはまだ出来ていなかった。そのころから住宅地がどんどん開発され、乗客の要望で作られた駅だと聞いているが、所要時間が増えるので歓迎されなかったようである。

 駅に着いて”お花の公園”を尋ねてみると、どうも駅前広場が公園と呼ばれているようで、市民ボランティアの手で綺麗に整備されていた。鴻巣と言えば”ひな人形の町”として知られているので、その看板もカメラに収めた。